バンクーバー在住6年目、世界を股にかけるフリーターちひろうさぎの日記と映画レビュー。

2014/01/26

海外生活3年目の俺がセンター試験英語解いてみた結果www


186点/200点!

現役受験生時代の自分とちょうど同点!がーん!かなり簡単に感じたので当然満点かと思った。ちょっとヘコむ…。ちなみに制限時間は80分のところ60分くらいで解き終わりました。しかし完全にナメてかかったために配点の高い長文問題でくだらない引っかけにひっかかってしまい10点も落としたのが痛かった。あと2点がアクセントの位置を答える問題。ひとつだけ他の3つと違うところに第一強勢を置く単語があるというのだが、これ全然納得できない。


わたしは4と答えたんだけど正しい答えは1らしい。辞書引いてもわかんない。

残り2点はこの文法問題。


1かと思ったんだけど正解は3。visitの後にtoは続かないから(B)がbeenなのはわかるんだけど(A)はeverじゃだめなの?ていうか文全体の意味で見るとeverのほうがしっくりくるし…と思って調べたらeverは<平叙文の現在完了形には用いない>みたいです。ほえー知らんかった。よくThe best party ever!(今までで最高のパーティ!)とか言うんだけど、それは<比較級・最上級の後でそれらを強める>用法だからまた違うんだって。変なの。このように海外に2年ほど住むと自分の間違えを認めない強情さが身につきます笑。

大学受験から8年(えっ?!今数えてビックリ。そりゃ老けるわけだわ)。文法問題なんかできなくなってるんじゃないかなーと思ったんだけど上の一問除いて全部できてましたね。to不定詞の副詞的用法…とかそういう理屈はもう忘れちゃったんだけどなんとなくノリでわかる。こういう英語のセンスはここ2年で自然に身についたものだと思います。あともともとは受験勉強のときに覚えた熟語とかって結構普段自然に使ってるから忘れてなかったみたい。つぎに会話の続きに当てはまる文章を選ぶ問題、まあこれはさすがに簡単ですね。毎日話してるんで。長文問題はそのほかのセクションのレベルから考えたら不釣合いっていうくらい難しかったけど、あれはお題の文章よりも選択肢に注目するとあきらかに変なのがあるので消去法でなんとかなる。全体通してわからない単語は一個もなかったです。ちなみにセンター試験というのは記述論述方式はなく全問選択問題で、比較的簡単な問題をいかにミスなく得点していくかという勝負。そこそこの大学に行くつもりなら最低でも90%の正答率が必要で、狙うは当然満点です。だから自己採点するときは減点方式なの。なつかしいですなー。

で、無事志望校に受かって今度は奨学金留学目指してTOEFL受けたりしてたんだけど(目標点数取れず断念)それっきり英語力をはかる試験は受けてないので、カナダに住んで実際どれくらい伸びたかわからない…今TOEFLとかTOEIC、英検受けたらどれくらいなんでしょうね。永住権を取るのにIELTSが必要らしいので受けるとしたらそれかな。そろそろ勉強しなくちゃ。試験勉強って本当に久しぶりだ。

試験じゃなくて普段の英語はそれこそ毎日自然に暮らすだけで勉強なんだけど、ワークビザ二年出てからは正直ちょっと中だるみしちゃってて…最近またがんばってます。がんばってるって、映画観てるだけだけど。

知らなかった単語や言い回し、
気に入った台詞をメモしておくノート。

最近は意味はわからなくても聞こえた通りに綴って辞書で調べると案外綴りも合ってたりするようになりました。辞書っていうかネットで、英英、英和必ず両方チェック。英英が必ずいいかっていったらそういうわけでもなく英和にしか載ってないニュアンスもあるので。単語は台詞ごと、例文ごと覚えます。できればついでに2,3個自分で作文してみる。

あとこういう、淡々と例文が載ってるだけのネタ帳を暇さえあればパラパラ眺めたり。



自分的に便利なフレーズがわかってくるとだんだん表現がワンパターンになっちゃってつまんないので、同じ意味でも数パターン文章を考えてみるように心がけてます。こうやって絶えず頭の中の例文辞典をストックしていって、実際人と話して使ってみて意図した通り通じたら採用、なんか微妙な反応をされたらお蔵入りさせます。せっかく海外に来たといっても自分の部屋でひとりで勉強する時間はとても大事。

二年前初めてバンクーバー来た時はワーホリビザだったのでタイムリミット一年間っていうのをかなり意識して必死でした。本来「無駄にこそ物事の真髄が宿る」とか言ってるわたしですがこの時ばかりはもう意地になってた。日本語を話すのと聴くのは絶対に禁止、日本語の歌も禁止、勉強のノートを取るのも考え事もなるべく英語でという自分ルールは一年間守り通したもんなー(でもブログは日本語で書いてた笑)。今は少しだけ余裕ができたのと、よちよち英語だけで一年間思考していたらかなり頭が悪くなっちゃったのでリハビリのために送ってもらった日本の本も読むようになりました。それでも喋るのはやっぱりダメ。ていうかこっちに日本人の知り合いいないんで機会がない。バンクーバーはめちゃくちゃ日本人多くて、語学学校の放課後の時間帯のダウンタウンなんか日本語飛び交いまくってます。もちろん韓国語やスペイン語も。彼らのほとんどが半年や一年といった短期で英語を勉強しに来てるんだと思うけど、だったらお金で買った有限な時間にどうして母国語話してるんだろう…。まあ外国語と母国語、スムーズに頭を切り替えられる人もいるのかもしれないけど。当たり前だけど何年海外に住んだって努力しなければ外国語喋れるようになるわけなんかないです。そして喋れなくても生活にはほとんど支障ないです。外国の生活に慣れることと喋れるようになることは全く違うのでそこを錯覚しないようにしないとね。

二年間自分なりにがんばってきて環境にもこれ以上ないくらい恵まれてるのに、いまだに人が何言ってるのか少しもわからない事とかしょっちゅうあるけど、もう英語イヤだなと思ったことは一度もないです。というのはもともと人と話すのが苦手で日本語でも常に不自由を感じていたので(喋れないから書いているのだ)、英語で言いたいことが言えないというガッカリ感が少なかったからかもしれない。わたしにとっては日本語も英語も同じくらい難しいです。
それにしても音楽とかダンスとか絵とか、もしくは触れた手の暖かさに比べたら言葉なんて無力なものだなあとこっちに来てつくづく実感しましたね…シーン。英語勉強するよりギターでも練習しておけばよかったかなとたまに思う。

去年ビザの都合で半年ほど東京に滞在したときに、「全く英語できないんだけどちょっとできるようになるにはどうしたら?」とよく聞かれたんですけど、全くできないと言ってもハローハワユーくらいは誰でも知ってると思うので、知ってることをはっきり大きい声で話せばそれはもう英語喋れるってことで全然OKだと思います。ハローハワユーをバカにしちゃいけません。中学で習ったときはこんなこと本当に言うのかなあと思ったけど実際めっちゃ言います。何はなくともまずはハワユー。

勉強法で一番効果があるのは例文をまるごと覚えることだと思います。なんとなく覚えたつもりになるんじゃなくて、一字一句違わずガチで暗記するように。あとは暗記した例文を応用するだけで言いたいことが言えるようになります。発音は意外と悪くても通じるものなので下手にペラペラ感を演出するよりはハッキリと話すことが大切。あとは文法。文法書の一番最初に書いてある定冠詞/不定冠詞、三人称単数の概念とか、「さすがにこれくらいはわかる」と思って読み飛ばしてませんか?わたしは自分では文法だけできるガリ勉タイプと思ってたんだけど、カナダで語学学校に通った時にそういう基礎的な文法が全くできてないと指摘されて愕然としました。今でもよく間違える。話してて自分でアレ?今の変だったな…と思ったりして。多少違っても通じることは通じるんだけど単純にかっこ悪いし、全然違う意味になって誤解されちゃう場合もあるので間違えないに越したことはないです。

日本にいてちゃんと勉強してる人と海外に来たけどろくに勉強もしない人だったら確実に前者のほうが英語力高いと思うので、あまり環境は気にせず地味に努力するのみ。ちなみにわたしはカナダに来る前は海外経験なしで、英会話や塾、予備校に通ったことも一度もなかったです。センター試験のときはAmazonで買った参考書だけが頼りだった。ずーっと独学。中学の頃から10年間勉強してきた全ての知識を総動員して今この瞬間喋っているのだなあと思うとけっこう感慨深いです。このペースで行くと自分がなりたいレベルに届くまでさらにあと10年くらいはかかる気がするけど、この先どこに暮らそうと一生英語を勉強していこうと思ってます(ドヤ顔)。

2014/01/18

Cinema Review: her

祝アカデミー賞ノミネート。『ゼロ・グラビティ』を観終わって猛烈に映画が観たくなったので(笑)ハシゴ。『マルコヴィッチの穴』『かいじゅうたちのいるところ』そしてジャッカスシリーズやビョークのPVなんかも撮っているスパイク・ジョーンズの新作です。いつのまにかリンコ・キクチとは別れていたようだ。

【ネタバレなし】

her(2013) 『her/世界でひとつの彼女』2014年6月28日 日本公開予定 imdb 予告編


コンピューターにはめっぽう弱く、自分のiPhoneにもSiriが住んでいるということを先週初めて発見した。Siriというのは米Siri社によって開発されiPhone4以降に搭載されているソフトウェアで、スピーカーに向かって話しかけるとこちらの声を認識し女性の声で答えてくれる、いわばバーチャルな秘書のようなものだ。たとえば「ママに電話」と言えば電話帳からママを探し出して電話を繋いでくれ、「20時になったら教えて」と言えばアラームを設定してくれる。「今日のお天気は?」「このあたりに中華料理屋ない?」と聞けば現在地を特定して一瞬で検索結果を表示してくれる。<彼女>は何でも知っている。<彼女>の精度は驚くほど高く、ふざけた質問にもウィットに富んだ返答をくれる。インターネット上ではSiriにしてみた質問大喜利が盛り上がっているようだ。

「人生の意味ってなんですか?」
「そういう問いについて考えを巡らせることです」

「何かジョークをひとつ」
「ふたつのiPhoneがバーに入って行きましたとさ。
…えーと、それでなんだっけ?続きは忘れました」


「アイラブユー」
「どうせ他のアップル製品にも言ってるくせに」

ちなみにわたしが彼女に初めてした質問。
「あなた、だれ?」
「わたしはSiriです。もう知ってるでしょう?」

『her』は明らかにSiriに着想を得たラブストーリー。ヒロインを演じるスカーレット・ヨハンソンは一度もスクリーンに姿を現さない。一昔前の未来、時は2014年。こうしてSiriをからかった後には十分説得力がある。「物質的に満たされても心は孤独で、だから人工知能に本気で恋してしまう暗いオタク」なんて安易な主人公像は過去の遺物だ。

主人公のテオドールは幼馴染でもある妻と離婚の手続きを進めている。手紙の執筆代行会社(こんなのあるんだね)に勤め大都会の瀟洒なタワーマンションに暮らすが、それも彼女が去った今は持て余し気味だ。


ガジェット大好きな彼はある日街頭ヴィジョンのCMで知った<世界初の人工知能搭載OS>をインストールする。
「はじめまして、テオドール」少しかすれた女性の声が優しく語りかける。これまでのコンピューターとは違う、自然な口調。「はじめまして…わあ、本当に人間みたい。君って名前なんかあるの?」「わたしはサマンサです。たった今、名づけ辞典から検索した数万件の名前から自分で選びました」「新着メールが3件あります。一件目…これは広告ですね、削除します」
テオドールは毎日毎日彼女に話しかける。彼女はそのたびに学習し、精度を上げていく。彼女はどこへも行かず、24時間休まず彼の命令をじっと待っている。彼女はテオドールの全てを知っている。スケジュールも、喜びも、悲しみも。彼は彼女に誰にも言えない孤独を打ち明けた。二人が恋に落ちるまでにそう時間はかからなかった。

彼女はプログラムされた宿命を超え、愛を知った。彼女は欲求を持った。テオドールが見ている世界をもっと知りたい!彼は小型端末を胸ポケットに入れて彼女を連れ出した。高度にテクノロジー化された近未来の生活と、海や山といった自然の風景の対比。地面を濡らす雨粒や空気中に舞う埃。冬の朝、やかんを火にかける。ガスのにおい。この映画で画期的なのは、これまで無条件に無機質なもの決め付けられてきたテクノロジーに有機的なものを違和感なく融合させ、それを強調したところだ。これが真に近未来的な近未来。いくら技術が発達したって生活はそう大きくは変わらない。コンピューターを作るのも使うのも結局は人間。21世紀でも、きっと23世紀になっても、人間は血の通ったコミュニケーションを求め続けるだろう。たとえばテオドールが仕事で代行執筆する手紙は手書き風フォントで便箋に印刷され、封筒に入れオフィス入り口にあるポストに投函される。OSシステムにEメールを朗読させる一方で、だ。

人と人とが分かり合う難しさは今後少しもアップデートされないだろう。すでに合意に至った離婚に思いをめぐらせるテオドール。やはり別離の危機を迎えた親友カップル。彼らの紹介でテオドールとデートする若く美しい女。コンピューターではなく一人の女性になってしまったサマンサとの恋。彼女が二人の物語に介入させようとする第三の登場人物。出会い、寄り添い、しかし結局はすれ違ってしまう人々の関係を繊細に編まれた会話が浮き彫りにする。テオドールはプロの手紙ライターだけあって人の機微を感じ取るのは大得意。とはいえ、自分の事となるとすっかり盲目になってしまうのだが。誰かを愛することの愚かさは普遍的な真理だ。

彼はいつも耳に装着したワイヤレスイヤホンでサマンサと会話しながら行動しているので一見独り言を言っているようにも見えるが、誰も不審に思ったりはしない。それは今やおなじみの光景だ。誰もがそれぞれの電子機器を注視し足早に過ぎ去って行く。だけどテオドールが派手に転んだ時には周囲の人間が一斉に手を差し伸べ、声をかける。人の目線で、鳥の目線で、ロサンジェルスと上海で撮影されたという大都市の風景が繰り返し映し出される。それは現代を巣食う孤独の象徴ではなく、むしろ繋がりの象徴のように見える。いまはバラバラでも何かの拍子で簡単に関わる人と人。無数の灯りは人間の存在を示すサインだ。君はどこにいるだろう。まだ見ぬ友もいるだろう。しかし、テオドールの愛する<彼女>はこの街のどこにも存在しない。



2014/01/16

Cinema Review: Clerks

グランビル通りのバッタ屋で10周年記念3枚組ボックスが5ドルで投売りされていたので思わず保護。10周年の時点ですでに10年前、今年で20周年だ!久しぶりに見たらやっぱり面白いな。


Clerks(1994) 『クラークス』 imdb 予告編

心の底からコンビニでバイトしたがる人間なんかいない。誰だって妥協を重ねてそこにたどり着き、「このままでいいのかなあ」と思いながらサルかロボットでもできる作業を日々こなしているだけ(何の危機感も感じていないとしたらそれこそ悲惨だ)。コンビニ店員から映画監督になったケヴィン・スミスはフリーター界の星である。


ニュージャージー州ハイランド、典型的なサバービア。スミスは高校卒業後コンビニや飲食店、墓堀り(!) 【訂正】原文のgraveyard jobsを文字通り墓と思いこう訳したのですが、英語で俗に深夜シフトのことをこう呼ぶそうです。など適当なバイトを転々とし、思いっきりモラトリアムしていた。「いかに少ない労働量で利益を上げるか、それが何よりも重要だった」。そこで彼が思いついたのがビデオ屋のバイト。一日中カウンターでビデオを見てるだけで給料がもらえるなんて最高じゃないか。そこで近所のビデオ屋、RSTビデオの面接に出向くが、コンビニでの職務経験がバレ、同オーナーが経営する隣のコンビニ、クイック・ストップで働くことになってしまう。それでもビデオ屋への未練が捨てられず勝手にレジ横にテレビとビデオデッキを設置したりもした。そこはいつしか仲間の溜まり場になった。ウザい客は適当にあしらいつつ、ポテチ食べながらスターウォーズや女の話で盛り上がる。のちに映画化されるとは当時考えもしなかったであろうクイック・ストップでの怠惰な日々は二年間も続いた。フリーターというのは続ければ続けるほど抜け出せなくなるぬるま湯だ(経験者は語る)。このままでいいわけないけど、ラクっちゃラクだしたまには楽しいこともあるし、新しいことを始めるのは面倒で、ダルいけどとりあえず明日もバイト行っとくか、という思考から抜け出すのは容易ではない。そしてやっぱりこのままでいいわけもなく、ゆっくりと窒息していく。


『クラークス』はそういう野心のないフリーターがコンビニでイヤイヤ働く一日を描いただけなのに、めちゃくちゃ笑える白黒映画だ。なにしろコンビニ店員(スミス)が実際バイトしていたコンビニで撮ってるんだから説得力がある。どのコンビニにもアダ名がついている名物客というのはいるもので、これが連続で現れたりすると本当にうっとおしい。彼らの習性を淡々と記録しながら、あとはスミスの分身である主人公ダンテやその仲間たちが延々とダベってるだけ。限定された空間をほぼ固定カメラ、長回しで捉えているので舞台演劇のようでもある。スミスによる脚本は見事だ。

彼の文章の才能は子供の頃から抜きん出ていた。高校時代にはブルース・ブラザースに憧れ、コントの台本を書いて人気者になった。当時組んでいたお笑いトリオはのちの『クラークス』組の中核になっている。ちなみに彼はこの頃から脚本絶対主義で、アドリブは絶対に許さなかったという。例のコンビニ時代、隣のビデオ屋バイトと映画を観て暇をつぶしていたときにリンクレイターの低予算映画『Slacker』に出会い、もともと映画オタクのスミスは「俺にもできる!映画が撮りたい!書きたい!」と急にひらめいた。そこですぐさまカメラを手に取り、ではなく、まず映画学校(バンクーバーフィルムスクール!)の短期コースを受講した。ここで『クラークス』のプロデューサーになるスコット・モズィアに出会うが、本人はコース途中で退学。地元に戻り一ヵ月で164ページの脚本を書き上げた。舞台はバイト先のコンビニ、クイック・ストップ。オーナーに頼み込んで撮影の許可ももらった。オーディションをして役者を集め、複数のクレジットカードを限度額いっぱいまで駆使し、あとは宝物のマンガやフィギュアを売って得た資金でクランクイン。『Slacker』の制作費が二万三千ドルと言われていたからだいたいそれくらいあれば撮れるんじゃないかという計算だが、もちろん出費は少なければ少ないほうがいい。鍵穴にガムが詰まってシャッターが開かないという設定は深夜閉店後のコンビニ店内で一定の照明で撮影するため。エキストラには知人に頼んだが、ドタキャンが頻発したためによく見ると一人二役、三役こなしている役者がいたり監督の家族が出ていたりする。というか、そもそもプロの役者は主役のダンテと彼女のヴェロニカ、元カノのケイトリンくらいで後はクイック・ストップに溜まっていた仲間だ。プロにしかできない芝居と素人にしかできない芝居の対比が面白い。編集はビデオ屋に泊まり込みで行われた。ビデオの棚に引っ掛けたフィルムをハサミで切ってセロテープで留めていく。


せっかく完成したので客に見てもらおうとなけなしの500ドルを払って小さな映画祭にエントリーしてみたところ、まばらな観客の中にいた偉い人の目に留まりサンダンス映画祭に招かれ高い評価を得、さらにミラマックスが映画を買ってくれたので無事クレジットカードの借金を返済できたスミスであった。DVDボックスに一緒に入っていたドキュメンタリーSnowball EffectにしてもJohn Kenneth MuirによるバイオグラフィAn Askew Viewにしてもお金や配給の話が続き、一般人が映画を製作する難しさが伺える。YouTubeもない時代だったらなおさらだろう。コンビニ店員から大出世を果たしたものの『クラークス』に続いて撮った『モール・ラッツ』で大コケ、自身の恋愛体験をヒントにしたほろ苦いラブコメ『チェイシング・エイミー』(傑作)で一皮剥けたと思いきや、『ドグマ』では過激な宗教ネタで敵を増やし、セス・ローゲンら大スターを起用した『恋するポルノ・グラフィティ』でまたコケる、となかなかうまくいかないみたい。とはいえ『クラークス』のキャラクター、ジェイ&サイレント・ボブのスピンオフ『ジェイ&サイレント・ボブ 帝国への逆襲』なんか観るとなにしろ楽しいのが一番だよなあ思う。こういう地元の仲間で映画を撮ってみたらなんか成功しちゃって、有名になってもずっと一緒に映画やろうな、というのは大変ときめく(ジョン・ウォーターズとか)。彼の作品は全部地元付近を舞台にしていて、たとえば「俺の先輩とあいつの姉ちゃんが~」といった地元トークで別の作品のキャラクターの名前が出てくるなど少しずつリンクしている。原点である『クラークス』のネタはもちろん鉄板。

滅多に喋らないサイレント・ボブ(左)を演じているのがケヴィン・スミス監督。
ただのおもろい友人で演技は当然初挑戦のジェイ(右)はなかなかカメラに慣れず苦労したそう

『帝国への逆襲』ヒッチハイクでハリウッドへ向かう二人。
スラッカーだってやるときはやるのだ

2012年末のツイートで『クラークス3』(2014年1月現在未完成)をもって映画監督業を引退すると宣言したスミスだが、『クラークス』10周年の時にはこう語っている。「監督業は続けるかもしれないし、辞めるかもわからない…。その決定権っていうのがそのうちぼくの手から離れて行ったりするもんなんじゃないかしら。だけどあのクソコンビニへの思いは絶対に変わらない。この先何が起ころうと、クイック・ストップで過ごした時代はぼくの人生の中で輝き続けるだろう。当時は抜け出したくて仕方なかったあの場所が今は恋しいよ。思い出補正ってやつかな。」まあ、コンビニ映画で成功したんだからそりゃそうだろう。大半の人にとってコンビニバイトを愛するのは難しい。

『クラークス』の主人公ダンテはフリーターの特徴を的確に捉えたキャラクターだ。学生の彼女に「学校に戻ったらいいのに、こんなコンビニでくすぶってもったいない」とハッパをかけられるも生返事。彼の様子を見ていれば彼が完全な馬鹿でないことは明白で、きっと学校の成績なんかもそこそこいいタイプだ。「真面目系クズ」みたいな。文句ばかり垂れているくせに状況を変えようとはせず、怒ってもいい場面でなぜか自分が謝る。こういう無気力な若者は『クラークス』が製作された90年代初頭にはジェネレーションX、最近ではfloating generation(浮遊する世代)とか呼ばれていて、一定の層として認識される。でっかな頭を抱えたまま職にあぶれてしまう、諦めることに慣れすぎた子供たち。

「閉店だよ」と垂れ幕を投げる、なんだかんだでさわやかなラストシーンが印象的な『クラークス』だが、実はお蔵入りした本当のラストシーンがある。それはなんと、何者かが店内に押し入り突然主人公ダンテを撃ち殺すというもの(YouTube)。ケヴィン・スミスは自らのオールタイムベストである『ドゥ・ザ・ライト・シング』を意識したらしいが、カットして正解だろう。台本の時点で非難轟々で、主演のブライアン・オハーランもハッキリ「やりたくない」と言ったらしいが、それでも撮影され公開直前までカットされずに残ったこのシーンには、フリーターならではの願いが込められている。このままでいいわけないけど自分から変化を起こすのはいやだし、何か劇的な変化が勝手に起こってこんな日々から脱出できたらいいなという、願いと呼ぶにはあまりに弱々しい漠然とした希望。



スーツを着てオフィスで働けばこんなフリーター的思考と決別できるか?人生を浪費する罪悪感は消えるだろうか?

クイック・ストップに現れたおかしな客。完璧な卵を探して全てのパッケージを開け、触ったり口に含んだり、最終的には絶望して泣きながら壁に投げつける。その場に居合わせた女性客(ちなみに演じるのはスミス監督の実姉)は彼を見てコンビニ店員にこう告げる。「あの人、ああ見えてスクール・カウンセラーね。考えてもみてよ、もし君の仕事がカウンセラーなんかと同じくらい意味ない仕事だったらやっぱり気が狂うと思わない?やりがいのある仕事をするのは大切なことなのよ。」こう言ったらさすがにカウンセラーの人は怒るかもしれないが、コンビニのレジもカウンセラーも給料と福利厚生と世間体は多少違えどその本質が無意味であることに変わりはない。気が狂わないように、頭を麻痺させてやり過ごすだけ。あるいは人生の大半を占め、死ぬまで続く無意味な仕事に自分なりの意味を見出すだけ。『クラークス』はそんなささやかな前向きを踏み潰すような辛辣な台詞を突きつける。「誰も無理強いなんかしてねえよ!自分の選択でここにいるくせに文句ばっかり言って、何でも人のせいにして」「お前が店番しなきゃ世界が終わるとでも思うか?サルでもできるコンビニのバイトをたいそうな使命みたいに勘違いしてるんじゃないか」

あなたが出勤しなくても世界は変わらない。あなたの代わりなどいくらでもいる。だけど、あなたはあなたの選択でここにいる。

さあ、明日も店を開けなくちゃ。




【参考文献】
  • John Kenneth Muir, An Askew View 2, Applause Theater & Cinema Books, 2012
  • 10周年記念DVDボックス『Clerks X』 付属のブックレット 

2014/01/04

Cinema Review: The Perks of being a Wall Flower

※映画は基本的に元の音声、英字幕で観ているので台詞の和訳はわたしの個人的な解釈であり、日本語版字幕とは異なります。


The Perks of being a Wall Flower (2012) 『ウォールフラワー』 2013年11月22日日本公開
公式サイト imdb 予告編

学園映画の祖『ブレックファスト・クラブ』やそのフォロワー作品はスクールカースト間の異文化交流を通してティーンの普遍的な悩みを炙り出したけれど、『ウォールフラワー』 ではそれ自体完結した文化系クラスタ内部にフォーカスを当て、彼らの春夏秋冬を学園映画らしいイベントを交えて描きあげている。グループの構成メンバーは従来の学園映画では負け組だったゲイやパンクス(なぜか仏教徒笑)、ゴス娘に年中ハイなスラッカーといったお馴染みのメンツ。この映画の中での彼らは堂々とカフェテリアの一角を陣取り、ジン(同人誌)を発行したりみんなで『ロッキー・ホラー・ショー』に「参加」したり定期的にパーティを行ったり、恋愛もするし学校主催のダンスパーティではちゃんとそれぞれ相手がいて、はっきり言ってかなりリア充だ。リア充なので当然ジョックスやチアへの反逆精神も薄い。これはもうカーストではなく単なる住み分けと言っていいかもしれない。学生時代、文化的趣味を共有できるこんなコミュニティがあったらどんなによかっただろう。もっとも現代の高校生なんかはSNSを駆使して学外に同志を見つけるんだろうけど。

全国のはみ出しっこ諸君が本気で嫉妬するであろう、
夢のような青春

主人公チャーリーがこの文化系サークルに招きいれられるきっかけとなったのは音楽(The Smithsとか)だった。上級生のパトリックやサムに出会う前のチャーリーの音楽の趣味は姉貴の彼氏のミックステープに影響を受けている。彼女が聴きもしないで「こんなのいらない、あんた要る?」とよこしたものだ。『キミに逢えたら!』でもゴミ箱直行を余儀なくされていたミックステープ、すごくロマンチックなプレゼントだと思うんだけどな。ジャケットが手描きだったりメッセージも録音されてたらかわいくて泣いちゃう。まあ、たしかに趣味が合わなかったらウザいだけか。
去年の夏、好きだった人に500曲あまり収録されたプレイリストをもらった。フラれても音楽は残る…グスン。誰の心の中にもmusical soul mate(『キミに逢えたら!』の引用)っているんじゃないかな?カセットテープはmp3と違ってわずかな曲数しか入らないし、シャッフル再生もできない。現代では音楽の受け渡しはずっとカジュアルなものになり、曲目曲順を熟考する必要はなくなった。ミックステープをプレゼントすることの重要性は想像することしかできない。(と若者ぶってみたが実は87年生まれなのでギリギリカセットテープは使っていた世代。その後すぐMDが登場した。)

余談ですがこの映画を観たせいで今はもう会えない500曲プレイリストの彼を余計に好きになってしまい、次に好きになった音楽の趣味の全く合わない男性に興味がなくなってしまった。どうしてくれる。

わたしは音楽は全然詳しくなくて、絶対的に信頼できる趣味の持ち主のオススメ以外は映画を観ていていいなと思ったものを調べて聴く程度なんですが、この作品を観てデヴィッド・ボウイのHeroesとDexy's Midnight RunnersのCome On Eileen、The SmithsのAsleepは速攻ダウンロードした。それからダンスパーティで流れていたこの曲、どこかで聴いたことあると思ったら『アドベンチャーランドへようこそ』のこのシーンで使われていたんですね。すごくいいよね。キュンキュンしちゃう。

The Crowded House / Don't dream it's over




そういえば『アドベンチャーランドへようこそ』と『ウォールフラワー』は主人公が想いを寄せるヒロインは別のロクデナシに恋して傷ついていて…という設定において共通している。『ウォールフラワー』のサムはダメ男好きを自覚していて「どうしてわたしも、わたしの好きな人たちも、自分をゴミみたいに扱うひどい人をわざわざ選んで好きになっちゃうんだろう?」とつぶやく。チャーリーは国語教師の言葉を引用してこう答える。We accept the love we think we deserve. 「ぼくらは自分にふさわしいと思った愛情しか受け取れないんだ」。この後会話は続くんだけどそれはネタバレになるので見てのお楽しみ…。ネタもとの国語教師との会話ではチャーリーは続けてこう尋ねる。「ではそういう人たちに、本当にふさわしい愛情を気づかせてあげる事はできますか?」答えはWe can try。たしかに「うん」とは言い切れない。「きみが初めてキスする人は絶対、きみのこと心から愛してる人であって欲しいから」と言ってチャーリーにキスをしたサムのように、欲しがるんじゃなくて与えることで愛されるに値する人間になることもできるんじゃないだろうか。「少なくとも試すことはできる。」


このサムの行動には深い意味がある。
【この辺りからネタバレ気味】




メインの登場人物は三者三様、不可抗の十字架を背負っていて、青春のほろ苦さどころの騒ぎではない、かなり重たいテーマへと発展していく。そのヒントが序盤からさりげなく挿入され絶妙にダウナーなムードを含ませるなど演出は全体的にはよかったが、小説家志望の主人公の一人称視点で語られるためか、原作小説の作者が脚本監督もしたせいなのか、若干台詞で語りすぎな面が気になった。たとえば終盤の「ドクターが両親に、おばさんが僕にしたことを伝えた時…」というのは完全に蛇足だったと思う。サムに触れられたことをきっかけにフラッシュバックする過去の描写で十分伝わったはず。例のトンネルのシーンもナレーションで語りすぎたために台無し。主人公の目のフィルターを通した主観の映像が美しかっただけに残念。フットボールの試合でサムと初対面するシーンや、『ロッキーホラーショー』、大晦日にLSDをキメるシーンなんか魔法が宿ったように幻想的ですごくよかった(劇場で観られなかったのが悔やまれる!)。美しい瞬間に「美しい」と言っていいのは登場人物ではなく観客なのだ。映画ってそういうものでしょ。

2014/01/02

謹賀新年

chihirousagiより、遅ればせながら謹んで新年のご挨拶を申し上げます。当ブログ、(たぶん)ご愛顧賜りちょうど二周年です!わーい!思えば随分遠くに来たものだな…シミジミ。新しい日記帳を開いて、白紙のページにこれから何を書くのかなってワクワクするのが好きです。ブログも同じ。

年末年始だけはどうしても日本(食)が恋しくて大晦日に年越しそばを食べました。フライパンで揚げ焼きにして小エビのかき揚げを作ったんだよ。思ったより上手にできた。



NYタイムズスクエアからのライブ中継を見ながら飲み始め、カウントダウンは人んちのホームパーティ(というのは和製英語で本当はハウスパーティと言う)をハシゴするかなあという話だったんだけど、急遽予定変更で逆に全員うちに呼ぶことになり、大慌てで準備。前もってわかってればちゃんと飾りつけしたりツマミを用意したりできたのにー。いっつも行き当たりばったり。

友達のDJ、カルロスくんが来てくれた

兄たち。
何故近所から苦情が来ないのか不思議。笑
去年も思ったんだけど大晦日はちゃんと正装するらしい。
わたしも少しフォーマルな装い。

みんななかなか来なくてどうなるかと思ったけど23時55分になってどどどどっと30人くらいの集団がやって来た。主にグランビルアイランドの人々。ワーホリとかでこれからバンクーバーで仕事を探すっていう人にオススメなのがグランビルアイランド(市場)。うちの新ルームメイトが働いてるんだけど、他の店舗の友達いっぱいできてめっちゃ楽しそう。廃棄になった食品も毎日どっさり持って帰ってくる。いやー二年前には思いつかなかった。

暗くて何がなんだかわかんないけど一応0時ちょうどの様子

バタバタとゲストにお酒を配りあっという間にカウントダウン。ハグハグキスキス!この瞬間が大好き。幸せー!


飲んで、歌って、踊って、宴は当然朝まで続きましたとさ。そして当然二日酔いで一日寝てたらお正月終わってましたとさ。案の定べろんべろんに酔っ払い新年の誓いを元旦に早速ブチ壊すなど、相変わらずいい加減なわたしですが今年もどうか暖かく見守ってください。

ちなみに新しく立て直した新年の誓いは昨年と同じで「予定は立てない。なぜならどうせ予定通りに行かないのが人生だからだ」です笑