2018/03/30

Love on Netflix (2016)

2年前、ジャド・アパトーが手がける大人の恋愛コメディが独占公開と聞いてNetflixに加入するきっかけとなったLoveがシーズン3にて完結してしまった。


Love (2016) imdb

30代、仕事はそこそこ順調ながら恋愛はグダグダ。ウディ・アレンが言うところの「死んだサメ」の関係でも終わってみたら一応悲しい。Relationshipにおいて映画みたいに美しい瞬間は一瞬、なんてことにはとっくに気づいている男女が、長い夜のあとにコンビニにたどり着いた。今さら新しいロマンスを始めることなんか可能だろうか?


ドラッグでハイな状態でミッキーは叫ぶ。「『愛は求めれば与えられるもの』なんて言うけどさ。愛を求めて、待ち続けて来たのに誰もくれやしないじゃん。つーか愛に期待し続けたせいでわたしの人生台無しだし。」「だからといって、結婚なんかしちゃって毎日FBに赤ん坊の写真載せてる高校時代のあいつらが正しく幸せだなんて、とてもじゃないけど思えないんだよ。幸せって、愛ってそんなもんじゃないでしょ?」

同棲していた元カノの家から荷物を引き取ったガスは憤る。「なんでみんな正直に言わないんだ?『Relationshipなんてクソだ』って。人は恋愛を通して成長するだとか嘘ばっか!こんな嘘を流布するラブソングや小説や映画も全部クソだ!」

20代で一通り経験を済ませた結果に悟った「ああまたこのパターンか」と悪い意味で恋に慣れる感覚。こんなことばかり繰り返して一体何になるのかという虚無感。それでも人はまた恋に落ちる。「だけど卵は欲しいのでね」。

ミッキーとガス、二人の恋は一筋縄にはいかない、というか終始awkward(ぎこちなく、気まずい)。その大きな原因のひとつはミッキーが戦う深刻な依存症だ。アルコール、ドラッグ、そしてセックスと愛への依存はもう「クール」とか「破天荒」では片付けられないレベルに達してしまっている。少なくとも彼女はその自覚があってそれぞれの自助会に熱心に通ったりしているが、自助会でもメンバーや自分自身に嘘をついてしまう。ミッキーにとって愛やセックスはドラッグやアルコールと同じように彼女を傷つける毒であり、治療が必要な病でもあり、そう考えると一見普遍的なLoveというタイトルがまた違った意味をもってくる。

わたしはこのLoveをシーズン毎に違う男の子たちと見てきたのだが、彼らは概ね「彼女のキャラクターがムカつきすぎて全然同情できない、彼女には愛される資格がない」みたいなことを言った。彼らはGirlsについても同じことを言って、とくにGirlsは共感する要素がなさすぎて見続けることができなかったと言う子もいた。たしかにミッキーやGirlsのハンナは彼氏だけじゃなくて友達にも見放されるような自分勝手な女なのだが、キャラクターに感情移入できる事ってそんなに大事かな?そもそもみんなに好かれるのってそんなに大事な事なのかな?

ちょうどLoveを観ているときに読んでいたBad Feministで、女性キャラクターのlikabilityについて語られた章Not Here to Make Friendsに目が止まった。ここで例に挙げられている悪女は『ヤング=アダルト』のメイビスや『ゴーン・ガール』のエイミーで、プロにもアマにもレビューで「こいつは多分アル中」とか「精神病」とか書かれた。愛想を振りまかず、人から愛される努力をしない女性はビョーキとレッテル貼りされることでしか消化されず、人間としてのパーソナリティは無視される。これがunlikableな男性キャラクターではまた話が別で、彼らは反社会的な行動を取っているにもかかわらず「クレイジーだけどそこが魅力的な」「興味を惹く」アンチヒーローとして美化され、「ビョーキ」の一言で片付けられる代わりにその心の闇を分析される(『ライ麦畑』のホールデンとか)。フィクションの世界においても「女は愛されてナンボ」から自由にはなれないのか…。

Girlsのミミ=ローズ役でも強烈なインパクトを残したギリアン・ジェイコブス。
本人はteetotaler (アルコールやドラッグを一切やらない)だそう。

自由奔放なミッキーに振り回されるガスは相対的にまるで気の毒なお人好しのオタクのように見えるが、実際にはガスもミッキーと同じくらい壊れている。シーズン1の冒頭で元カノに言われたことがだいたい全てで、つまり彼は壊れた中身を取り繕って表面だけ誰からも好かれようと腐心する"fake nice"なところが、悪女丸出しなミッキーに比べてむしろたちが悪いのだ。八方美人でズルいし、その一方で怒りをコントロールすることができず急に大爆発することも珍しくない。シーズン1の最後にやっとミッキーが依存症のことを告白できた瞬間にとった行動だって無責任だ。まああそこで引いたら物語が終わってしまうわけだけど…。


2016年の シーズン1から3年間いつも春に始まるLoveは、LAのカラッとした日差しに薄着で出かけたくなるような高揚感が、何度繰り返しても楽しい恋の始めの雰囲気とシンクロしてとても良い。LAではUber含め車移動が基本で、ライフスタイルや人と人との関わり方がNYやバンクーバーと根本的に違うように見える。行きたい時に行きたい場所に自分で行ける自由がある環境でのデート状況しかり、車内でのawkwardな会話やその「間」しかり。全編通してウィットに富んだ会話が至高なんだけどシーズン3が一番笑った。

脇を固めるキャラクターたちがまた最高で、ミッキーのルームメイトのオーストラリア人・バーティはめちゃキュートだし、ガスのオタク仲間もいい味出してるし、それぞれの職場のメンツも濃く、いつのまにかお互いの友達が友達になってコミュニティが膨む感じが微笑ましい。ガスが住む家具付きの集合住宅、寮みたいで楽しそう。

ミッキーはラジオ曲のプログラムマネージャーをしていて、彼女が手がけるお悩み相談番組の精神医学博士(自称)がキモ面白くていい。ガスはひそかに脚本を書きつつ、現状はドラマの撮影セットで子役に勉強を教えるチューター。カリフォルニア州を始めとするアメリカの多くの州では役者の仕事が忙しい子供たちの教育を受ける権利を守るために撮影現場にチューターを置くことを義務付けている。規定のコマ数を満たすだけではなく子役が試験をパスできなければキャストをキープできないこともあるので大人は必死だ。ガスが手を焼く生意気ガールのアリヤ役を演じるのはジャド・アパトーとレスリー・マンの実娘アイリスちゃん。『Knocked Up』の時には赤ん坊だったのに!わたしのお気に入りはもちろん『フリークス学園(わたしのレビューはこちら)のロッソ先生とカウチェウスキ先生。「BTTF=Best Friend Forever」と言って老後一緒に暮らしてる設定とか泣かせるね。



ファイナルシーズンではアリヤや、バーティと無職の彼氏ランディ、ガスの親友クリスなど二人を取り巻くサイドキャラクターの'Love'も詳しく語られ、ますます別れが惜しくなる。醜い衝突 の繰り返しだった関係はどのように収束するのか、と思ったらなんとシーズン3の時点でまだ出会って半年やそこらという設定。嵐のような恋だ。依存症を克服して自身のアップデートを図るミッキーと、キャリアを猛進する決心がついたガス。たとえ傷つけあったって、前進しつづける限り二人の恋は死なない。



    ※注釈

    「恋愛というのはサメのようなもので、前進し続けない限り死ぬ。僕らの関係は死んだサメだ」---- Annie Hall (1977)

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