すっかり久しぶりの投稿になってしまったけどコロナや不況や自然災害や異常気象にも負けずしぶとく生きてます。
今年何してたっけ…。年明けはまず毎年恒例のおせちを食べて、5日からスタジオに戻り、2月に番組が終わって初めてメジャー作品のエンドロールに名前が載った。
Disney+の『飛べないアヒル』というドラマシリーズです。観てね!スタジオ施設管理者のポジションで、撮影中は忙しかったけど年明け以降は何もやることがなく毎日出勤して個室オフィスのカウチに寝っ転がってるだけという嘘みたいな案件だった。でも本番だけじゃなく準備段階から撤収作業まで全部見届けたのは初めてだったのでとても勉強になった。日本にいた時から大好きな作品『ブレックファスト・クラブ』のエミリオ・エステベスさんが気さくに話しかけてくれてめっっっっちゃ嬉しかったです。こういう時に英語を勉強してきてよかったとしみじみ思う。ずいぶん遠くまで来たものだ。
衣装さんが粋な計らいでわたしの名前入りのジャージを作ってくれた。本編観て見つけてみてね!体格がちょうどいいのでスタントで出演してみないかと言われたけど(※ちびっこホッケーチームという設定)、アイスホッケーどころかスケートすらまともにできないので泣く泣く断念。カナダ育ちの人はスケートできて当たり前らしく、高額機材を両手で運びながら普通にスイスイ滑っていて衝撃的であった。
事務所の退去まで立ち会い、次こそ照明技師としてレギュラーが取れればと切に願いながらユニオン派遣ダイヤルの電話を待っていたのですが、結局4ヶ月くらい時間が空いてしまい、この間はいつのまにかコモンローパートナー=内縁の夫になっていた彼♡の永住権をスポンサーするため一心不乱で調べ物をしていた。コモンロー(ファミリークラス)で永住権目指してる人多いと思うのでこの話はまたまとめて書くね。とてもじゃないけど長時間労働をしながら片手間でできるような作業ではなかったので結果的に有意義な休みとなりました。
ワクチン完了。二人ともどこ見てんだ |
フリーランスなので仕事の量は自分で調節できる一方、仕事が取れるかどうかは運要素が強く必ずしも自分で選べるわけではない。貯金が減って少し焦っていた頃に去年から噂されていた大型企画が日本語を話せるアシスタントを至急探しているといって呼ばれたので、本当はもう照明以外のポジションは受けないつもりだったけどこれも何かのご縁と思って働くことにした。カナダに来てから初めて日本語能力が役に立った!現在のpolitical climateにおいてハリウッドが日本の時代劇を制作するとなれば相当に慎重であるべきだということで、日本文化を伝承するアドバイザーやアーティストが大勢招かれた。その方々とお話しするうちに自分がいくらなんでも日本のこと知らなすぎてビビる一方で、どうしても畳のセットに土足で乗ることができず咄嗟にほふく前進をしてしまうなどたしかに日本に生まれ育った事を思い出さされたりもした。カナダ市民権を取って国籍を変えてしまう前の最後のひとときに日本人としてこの企画に関われたというのは何か大きな力がはたらいてるなと感じるなど。ちなみに2019年に応募した市民権申請は今年正式に棄却された!永住権を取った後、市民権獲得の最低条件である滞在日数に届くまで文字通り指折り数えてジャストの日数で書類を提出したのですが、元彼の親戚を訪ねて2日間アメリカに旅行したのをすっかり数え忘れていたため失格になってしまった…オッチョコチョイすぎる。再申請したもののコロナの影響で待ち時間が大幅に伸びて2年くらいかかるようです。これもslow downという神のお告げだろうか。
オフィスの張り紙も全て二ヶ国語表記 (おしい) |
記録的猛暑で気温40℃超が続いた夏。扇風機や 家庭用ポータブルエアコンを求める人が電気屋に殺到した |
振り返ってみるとここ数年は努力した分目に見える形で確実に成果が出続けており、今年もまた大躍進になると確信していた割には正直がっかりな一年でした。特に一番の目標だった照明のショーコール=レギュラー獲得が達成できなかったばかりか、一度も働かせてすらもらえなかったというのが残念すぎる。単純にコロナで景気が悪いせいだけど、じゃあできることはすべてやったのかというとそうとは言えず。やりたくもないポジションに妥協していじけず真面目に働くのは難しかった。あまりの疲労で週末は寝るばかりでどこにも行けず誰にも会えず、パートナーとの関係も悪くはないけど理想的とは言えず。市民権は棄却されるわ彼の永住権も書類不備で一度全部返送されるわ、全体的にパッとしないというか不満が多かった。
あのクレーンからハリボテの村を 明るく照らしているのは美少年 |
照明を志すきっかけをくれた1997年生まれの美少年に時々現場で会う。最近は仕事のスケジュールを減らして自分の作品制作に力を入れているらしい。この番組に日本の古い知人がキャスティングされて20年ぶりに再会したという話をしていて、「昔から役者だったけどついにhe made it here」と言ったら間髪入れずに「and YOU made it here!」と言ってくれて、そうだよI made it hereって胸を張っていいんだと気づかされた。今度の1月でカナダに来て10周年。手に職があるわけでもない、北米での学歴も職歴もないわたしのような人間がこの地で身を立てるのはとても簡単なことではなかった。2012年1月にワーホリでバンクーバーに来た日から数えると、まずハンバーガー屋の仕事にありつくだけで3ヶ月かかった。どうにかビザを繋いで馬車馬のように働き続け、ついに永住権を獲得するまでに6年。ビザに付帯した職種制限が失くなって最低時給を脱出できたのもこの年。自転車操業を卒業し預金口座にお金を入れられるようになるまでに7年。中古車も買えた。7人で割り勘していたシェアハウスを出てアパートの賃貸契約を結ぶまでに8年。結局一通りのことが落ち着くまでに丸10年かかってしまった。今では夢のまた夢と思っていた業界で仕事をして、世界で最も生活コストの高い街の一つであるバンクーバーで立派に自立できている。贅沢はできなくてもいちいちオンラインバンキングで残高を確認しなくても日用品くらいは買える。同居して養っているパートナーとも一応仲良くやっている。コロナを機に付き合う友人が変わったけど、それでも一生の親友と呼べる人がいる。数え切れないほどの失敗や失望やピンチや裏切りを乗り越えてきた。10年前ゼロからスタートしたことを考えれば今年パッとしなかったとしてもただここに存在するというだけで自分は偉いのである。ということを突然現れてごく短い会話の中で教えてくれた1997年生まれの美少年はやはりわたしのゆく道を照らすため神に派遣された天使ということだろうか。さっきからちょいちょい神とか言ってるけど別に宗教に目覚めたわけではないです…ここ10年間あまりにも自分でコントロールできない事に振り回されすぎて「まあそういう運命だったのだろう」と解釈する癖がついただけだ。
あと、去年のパンデミック真っ最中から職場に復帰して働きまくってるのに一度もコロナに罹らないでここまで来られたのも何気にすごい。夏以降は遠方ロケばっかりで毎日気力も体力も限界の状態で往復運転して無事故だったのもすごい。実は、業界に入って一番最初の番組で出会ってからずっとわたしを応援し推薦してくれていた大ボスが9月に亡くなった。2年近く闘病していたので「突然」ではないけど、快方に向かっていると聞いていたしなんだかんだでまだ時間は残されていると信じていた。もう医者になったらいいのにというくらい熱心にリサーチをして看病していたガールフレンドが気の毒でならない。多少パッとしなくても自分や周りの人が健康で生きていられるというだけでこんなにラッキーなことはないだろう。
Rest in Peace Bob. I'll be forever grateful to you.
記録的猛暑の次は記録的寒波到来 秋には山火事洪水土砂崩れもあったよ! |
2021年12月31日にこれを書いています。これからおせちを仕上げて、雪靴を履いて雲丹を買いに行く。お風呂に入って日本酒を少しだけ飲む。生きているだけで偉い自分にご褒美。