前回までのお話はこちら→
BCPNPで永住権を取るの巻①ノミネートまでBCPNPで永住権を取るの巻②Flag Pole
BCPNPで永住権を取る③ノミネート後にレイオフされた
BCPNPで永住権を取るの巻④Flag Pole失敗とリベンジ
BCPNPで永住権を取るの巻⑤CICアプリケーション後
2012年ワーホリで初上陸してから5年、BC州ノミネーションプログラムを利用し実際に永住権に応募してからは2年と3ヶ月。2017年1月14日、わたしchihirousagiはついにカナダの永住権を取得しました。
最終段階のタイムライン
2016年
9月27日 オンラインで申請していたBOWPが郵送で届く12月23日 PPRメールがついに来た!最高のクリスマスプレゼント。粋なはからい。
12月23日 彼と家族で旅行へ出発。笑
12月27日 最後の書類提出
Final requestとのことで、指定された書類をオタワに送付。
これらを大きな封筒にまとめて入れて送ります(当然ここでも送料)。と、その前に返信用Xpress postのトラッキングナンバーをメモしておきましょう。わたしは忘れた。送料だけで合わせて$21もかかったらしい(怒)
- ビザ免除国の日本国籍なのでパスポートの写真が入ったページのコピー(今まで何回送ったと思ってんだよ…)。国によってはパスポート原本を送るらしい。こんな大切なものをカナダのいいかげんな郵便で送るとかおそろしいな。
- 証明写真を2枚、これはPRカードに使うのだろう。いつも通り近所のLondon Drugsで。
- メールに添付されていたしょぼいフォームを印刷し名前と現住所など基本的な情報を書き込む。
- 返信用のCanada PostのXpress postの封筒。カナダ国内在住の場合は返信用の宛名は空欄のままにしておく。返信送料は本人負担。今まですでに申請料さんざん払ったのにまだ搾り取るか。
2017年
1月11日 Gckeyがアップデートされたとメール。Final decision: This application has been approvedとなっている!これにて閉廷。
1月12日 COPR届いたか…?
宅配便の不在通知が入っていた。これはもしや!しかし再配達のないカナダでは翌日の午後以降自分で取りに行かなければならず、仕事が終わる頃には郵便局閉まるので土曜まで待つことに。
1月14日 ついにランディング
郵便局の開店時間ピッタリに封筒を受け取る。中身はもちろんCOPRだ!2枚同じものが入っていて、そのうち1枚にこないだ送った写真が貼ってある。サインするところがあるけどここはまだサインしちゃだめだぞ!これを持って国境へ行くと全ての手続きが完了することになる。いよいよここまで来た…真っ先にセビくんを電話で起こし自分はとりあえずヨガへ笑。今日という日は自分史に残る日になるぞ。 そんな時こそ気を落ち着けてナマステ。
過去3回は電車とバスを乗り継いで国境のPoint Robertsに行ったのだが、今回はなんと最近教習所を卒業したばかりのセビくんが運転してくれるという。しかし仮免(L)なのでフル免の監督者が必要で、セビ母まで片道1時間強の旅に付いてきてくれた。【追記】後からよく考えたらわたしも一応25歳以上でBCのフルのライセンスを持っているので監督者になれるんだった笑。30分ほど走ったところでふと書類のファイルが気になり、まさか忘れ物とか…とチェックしたところ、ない。ビザがない。まさに顔面蒼白で「なーい!」と正直に申告。Uターンして家に取りに帰ることに。気まずすぎてすっかりちいちゃくなったわたしを元気づけるために二人がおもしろいことを言ったりやったりしてくれた。なんかほんとすんません。ここで確認しておきますが、ランディングの時は
この4つは絶対に忘れちゃだめ!まさか自分に限ってと思ったらこのザマですわ。仕事をしている証拠として一応契約書や直近5回分の給与明細も持ってったのにこれは使わなかった。「一応」アイテムに気を取られ「必須」アイテムを忘れるドジなわたし…。まあ途中で気づいたからいいけどさ。
- COPR(2枚)
- パスポート
- 今現在のステータスを証明するもの(=ビザ)
- 現住所が書いてある公的書類。運転免許か、銀行やMSPが送ってきたステートメント等
気を取り直してまた南を目指す。手続きの待ち時間がどれくらいになるかわからないのでママには車の中で待ってもらうことにしたのだが、国境のオフィスの駐車場に停めるとなんかめんどいことになりそうなので近くの公園に停めて少し歩くことに。時刻は夕方5時、気温は氷点下3度くらいか。まずはアメリカ側のオフィスで出国手続き。Flagpoleですと伝える。相変わらずここのオフィサーはとてもフレンドリーでしばしどーでもいい世間話などして書類をもらう。次にカナダ側のオフィスへ。徒歩の我らはストップサインの手前で待ち、係員が手で合図したらまたflagpoleですと言う。武器やドラッグを持っていないか形式的に聞かれる。国籍によらず同行者も必ずパスポートを携行しましょう。セビはカナダ国籍。中に通されると誰も並んでないぞ!やったね。すぐにカウンターに呼ばれ例の必須書類を求められる。犯罪を犯したり入国拒否されたことがあるかと、depanedent(扶養者)がいるかどうかを今一度オフィサーと一緒に確認しCOPRにサインをする。追加の質問や書類はとくになし。ちょっと座って待っててと言われ5分後にはまた呼ばれ、COPRの自分用控えをホッチキスしたパスポートを返された。永住権獲得にあたり今持っているビザは不要になるので没収とのこと、PRカードは3ヶ月以内に郵送されること、MSPやSINの更新が必要なことなどプリントに沿って軽い説明があり、最後にそっけなくコングラチュレーションと言われた時には思わずうわーーーーーんと声をあげて嬉し泣きしてしまった。セビくんと熱い抱擁! 長い、長い自分との戦いに勝った瞬間。今日からわたしは自由だ。自分で勝ち取った自由だ。この日を一生忘れない。
手続きは土曜の夕方でも車から少し歩いたりしたの含めて30分もかからなかった。ランディング(Flagpole)するのはこのPoint Robertsじゃなくてもどこでもいいんですがここは割と穴場的なスポットらしく今まで混んでるの見たことないのでおすすめだよ。バンクーバーから近いし、普通のバスで行けるし 。→行き方はこちらの記事参照
永住権取得にかかった費用一覧
(覚えてる限り)
2014年夏から2017年冬にかけて申請した当時の値段です
2014年夏から2017年冬にかけて申請した当時の値段です
BCPNP(州レベルでノミネートされるまで)
大学の卒業証明書の英訳を日本から取り寄せ $54IELTS受験料 $295
BCPNP 申請料 $550
CIC(連邦レベルで移民を完了するまで)
戸籍謄本を世田谷区役所から取り寄せ $50くらいだったか取り寄せた戸籍謄本の翻訳、日本国領事館にて $12
指紋採取と無犯罪証明書 Global fingerprinting servicesにて $21
PR申請料 $550
健康診断受診料 $305
RPRF $490
審査中のワークパーミット申請料
永住権が確定するまでは途切れずビザを保持する義務があり、自動更新されないので自力で申請しその都度申請料がかかります。2015年5月19日〜2015年9月15日 Closed work permit for A company $385
2015年9月11日〜2016年12月10日 Closed work permit for B company $385
2016年9月27日〜2017年9月27日 BOWP $255
雑費
証明写真代、ペーパーアプリケーションなので速達や追跡番号オプションをつけた送料、プリンターを持ってなかったので図書館で印刷費、ビザ更新のため国境に3回(うち1回失敗)行った交通費等 $200(全然わからないので適当)
合計 $3552
えっ?!高くね?計算が本当に苦手な上にきちんと記録を取っておらず、むりやり遠い記憶を発掘しているので間違っている可能性もあります。わたしはノミネート後一度仕事をクビになっているのでワークパーミットの申請費が一回余分にかかっている上に、そこでタイムロスしたせいで時間切れになりもう一回更新しているのでこれが痛かったんだな。今はオンラインのエクスプレスエントリーが主流なので手持ちのビザが切れる前に移民完了してしまう人が多いんじゃないでしょうか。あとオンライン申請ということは印刷代や追跡番号付きの郵送料もこんなにかからないはず。それでもプリンター/スキャナーは絶対に持っていたほうがいいです。買ってもどうせ安いし。
ほとんどの費用はクレジットカードで支払いをします。永住権を考えるにせよ関係ないにせよ、海外に引っ越す前に年会費無料のものでいいのでなるべくたくさんカードを作っておくようにしよう。わたしはカナダのカードも持ってるんですがまだクレジットヒストリーがないため限度額が子供の小遣いくらいで、高額な申請料の前では歯が立たないのでした。
永住権取得にかかった時間
2014年夏から2017年冬にかけて申請した当時の、BCPNP Entry Level and Semi Skilled Worker Class (NOT Express Entry)の待ち時間です
移民する方法はPNP以外にもたくさんあります。州によっても制度が違う。カナダに残りたいと決めた時から「結婚したら」とさんざん言われたけど、今まで事あるごとに男の子に助けてもらって生きてきたわたしがここでもそれをやってしまったらこれから先ずっと自分のことを好きになれないだろうと思い、ひとりでビジネス移民することにしたのでした。前の職場でカナダ人彼氏とコモンローで移民しようと思っていいところまで行ったのに結局別れたため棄却され無念の帰国という子を見て、やっぱりわたしは正しかったと思ったね。彼女含め知ってる限りで永住権諦めた子が…5人くらいはいる。理由は主にスポンサーがいい加減だった(わたしだって同じスポンサーだったけど徹底的にしつこく攻めた)、リサーチが足りなかった、タイミングが悪かった、です。つまり本当に信頼できるスポンサーを見つけ、できればコンサルタントを雇い、あとは運が良ければ永住権のチャンスはあるということです。
お金が無くてコンサルタントを使えなかったせいで余計な苦労ばかりだったけど、こうして振り返ってみると学んだこともたくさんあるように思う。なかなか動いてくれない上司にグイグイ催促したり、膨大な募集要項を読み解いたり、読んでもわからなくてCICに直接電話したり、IELTSのために猛勉強したり、ライティングの勉強がさっそく役に立ってビジネスメールをたくさん書いたり。そして何より、全部自分でやり遂げたという自信を手に入れたのが一番の収穫でした。わたし強くなったなあ。
煩雑な手続きには手を焼いたけど、最もつらかったのは何があっても絶対に仕事を辞められないことでした。就労ビザは基本的に雇用主指定の専属契約で、ビジネス移民の場合雇用主と一緒に永住権に申し込むので辞めた時点で応募資格がなくなる。ワーホリで最初にファストフードを選んでしまったばかりに5年間この業界に囚われることになってしまいました。飲食っていうかファストフードはやっぱりカナダでもブラックで、納得いかないことばかりだった。わたしはもう昔みたいに納得いかないことを我慢したりしないけど、クビになったら帰国するしかないので黙って働いた。悔しくてよくウォークイン冷蔵庫の中で泣いたりしたな…。レストランと違ってチップが出ないので給料は最低時給きっかりのみで、副業は許されなかった。同僚は高校生と主婦ばかりでみんなすぐにネをあげて辞めていった。毎日へとへとにくたびれて油まみれでゴミ捨て場に向かうたび、あと何度これをやったら自由になれるのかと途方に暮れたよ。冷静に考えるとキツすぎるので機械のように身体だけ動かして頭では全然違うことを考えるようにした。
そんなわけで20代の半分を皿洗いやドブさらいに費やしてしまいましたが、これからは政治家と警察官以外の何にでもなれる。さて、何をしようか。今年は忙しくなりそうです。幸せになる準備は整った。chihirousagi第三章、始動!
この一大プロジェクトを通してたくさんの善意に触れました。いつも気にかけてくれた友人、くじけそうなときに温かいコメントで励ましてくれたブログ・SNSの名前も知らない仲間たち、どんなことがあっても絶対にわたしの成功を疑わずついてきてくれたセビくんに感謝します。そして、まだ何者でもないわたしを社会のメンバーに加えてくれたカナダにありがとう。