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2018/03/30

Love on Netflix (2016)

2年前、ジャド・アパトーが手がける大人の恋愛コメディが独占公開と聞いてNetflixに加入するきっかけとなったLoveがシーズン3にて完結してしまった。


Love (2016) imdb

30代、仕事はそこそこ順調ながら恋愛はグダグダ。ウディ・アレンが言うところの「死んだサメ」の関係でも終わってみたら一応悲しい。Relationshipにおいて映画みたいに美しい瞬間は一瞬、なんてことにはとっくに気づいている男女が、長い夜のあとにコンビニにたどり着いた。今さら新しいロマンスを始めることなんか可能だろうか?


ドラッグでハイな状態でミッキーは叫ぶ。「『愛は求めれば与えられるもの』なんて言うけどさ。愛を求めて、待ち続けて来たのに誰もくれやしないじゃん。つーか愛に期待し続けたせいでわたしの人生台無しだし。」「だからといって、結婚なんかしちゃって毎日FBに赤ん坊の写真載せてる高校時代のあいつらが正しく幸せだなんて、とてもじゃないけど思えないんだよ。幸せって、愛ってそんなもんじゃないでしょ?」

同棲していた元カノの家から荷物を引き取ったガスは憤る。「なんでみんな正直に言わないんだ?『Relationshipなんてクソだ』って。人は恋愛を通して成長するだとか嘘ばっか!こんな嘘を流布するラブソングや小説や映画も全部クソだ!」

20代で一通り経験を済ませた結果に悟った「ああまたこのパターンか」と悪い意味で恋に慣れる感覚。こんなことばかり繰り返して一体何になるのかという虚無感。それでも人はまた恋に落ちる。「だけど卵は欲しいのでね」。

ミッキーとガス、二人の恋は一筋縄にはいかない、というか終始awkward(ぎこちなく、気まずい)。その大きな原因のひとつはミッキーが戦う深刻な依存症だ。アルコール、ドラッグ、そしてセックスと愛への依存はもう「クール」とか「破天荒」では片付けられないレベルに達してしまっている。少なくとも彼女はその自覚があってそれぞれの自助会に熱心に通ったりしているが、自助会でもメンバーや自分自身に嘘をついてしまう。ミッキーにとって愛やセックスはドラッグやアルコールと同じように彼女を傷つける毒であり、治療が必要な病でもあり、そう考えると一見普遍的なLoveというタイトルがまた違った意味をもってくる。

わたしはこのLoveをシーズン毎に違う男の子たちと見てきたのだが、彼らは概ね「彼女のキャラクターがムカつきすぎて全然同情できない、彼女には愛される資格がない」みたいなことを言った。彼らはGirlsについても同じことを言って、とくにGirlsは共感する要素がなさすぎて見続けることができなかったと言う子もいた。たしかにミッキーやGirlsのハンナは彼氏だけじゃなくて友達にも見放されるような自分勝手な女なのだが、キャラクターに感情移入できる事ってそんなに大事かな?そもそもみんなに好かれるのってそんなに大事な事なのかな?

ちょうどLoveを観ているときに読んでいたBad Feministで、女性キャラクターのlikabilityについて語られた章Not Here to Make Friendsに目が止まった。ここで例に挙げられている悪女は『ヤング=アダルト』のメイビスや『ゴーン・ガール』のエイミーで、プロにもアマにもレビューで「こいつは多分アル中」とか「精神病」とか書かれた。愛想を振りまかず、人から愛される努力をしない女性はビョーキとレッテル貼りされることでしか消化されず、人間としてのパーソナリティは無視される。これがunlikableな男性キャラクターではまた話が別で、彼らは反社会的な行動を取っているにもかかわらず「クレイジーだけどそこが魅力的な」「興味を惹く」アンチヒーローとして美化され、「ビョーキ」の一言で片付けられる代わりにその心の闇を分析される(『ライ麦畑』のホールデンとか)。フィクションの世界においても「女は愛されてナンボ」から自由にはなれないのか…。

Girlsのミミ=ローズ役でも強烈なインパクトを残したギリアン・ジェイコブス。
本人はteetotaler (アルコールやドラッグを一切やらない)だそう。

自由奔放なミッキーに振り回されるガスは相対的にまるで気の毒なお人好しのオタクのように見えるが、実際にはガスもミッキーと同じくらい壊れている。シーズン1の冒頭で元カノに言われたことがだいたい全てで、つまり彼は壊れた中身を取り繕って表面だけ誰からも好かれようと腐心する"fake nice"なところが、悪女丸出しなミッキーに比べてむしろたちが悪いのだ。八方美人でズルいし、その一方で怒りをコントロールすることができず急に大爆発することも珍しくない。シーズン1の最後にやっとミッキーが依存症のことを告白できた瞬間にとった行動だって無責任だ。まああそこで引いたら物語が終わってしまうわけだけど…。


2016年の シーズン1から3年間いつも春に始まるLoveは、LAのカラッとした日差しに薄着で出かけたくなるような高揚感が、何度繰り返しても楽しい恋の始めの雰囲気とシンクロしてとても良い。LAではUber含め車移動が基本で、ライフスタイルや人と人との関わり方がNYやバンクーバーと根本的に違うように見える。行きたい時に行きたい場所に自分で行ける自由がある環境でのデート状況しかり、車内でのawkwardな会話やその「間」しかり。全編通してウィットに富んだ会話が至高なんだけどシーズン3が一番笑った。

脇を固めるキャラクターたちがまた最高で、ミッキーのルームメイトのオーストラリア人・バーティはめちゃキュートだし、ガスのオタク仲間もいい味出してるし、それぞれの職場のメンツも濃く、いつのまにかお互いの友達が友達になってコミュニティが膨む感じが微笑ましい。ガスが住む家具付きの集合住宅、寮みたいで楽しそう。

ミッキーはラジオ曲のプログラムマネージャーをしていて、彼女が手がけるお悩み相談番組の精神医学博士(自称)がキモ面白くていい。ガスはひそかに脚本を書きつつ、現状はドラマの撮影セットで子役に勉強を教えるチューター。カリフォルニア州を始めとするアメリカの多くの州では役者の仕事が忙しい子供たちの教育を受ける権利を守るために撮影現場にチューターを置くことを義務付けている。規定のコマ数を満たすだけではなく子役が試験をパスできなければキャストをキープできないこともあるので大人は必死だ。ガスが手を焼く生意気ガールのアリヤ役を演じるのはジャド・アパトーとレスリー・マンの実娘アイリスちゃん。『Knocked Up』の時には赤ん坊だったのに!わたしのお気に入りはもちろん『フリークス学園(わたしのレビューはこちら)のロッソ先生とカウチェウスキ先生。「BTTF=Best Friend Forever」と言って老後一緒に暮らしてる設定とか泣かせるね。



ファイナルシーズンではアリヤや、バーティと無職の彼氏ランディ、ガスの親友クリスなど二人を取り巻くサイドキャラクターの'Love'も詳しく語られ、ますます別れが惜しくなる。醜い衝突 の繰り返しだった関係はどのように収束するのか、と思ったらなんとシーズン3の時点でまだ出会って半年やそこらという設定。嵐のような恋だ。依存症を克服して自身のアップデートを図るミッキーと、キャリアを猛進する決心がついたガス。たとえ傷つけあったって、前進しつづける限り二人の恋は死なない。



    ※注釈

    「恋愛というのはサメのようなもので、前進し続けない限り死ぬ。僕らの関係は死んだサメだ」---- Annie Hall (1977)

    2016/09/27

    Yoga Hosersとカナダのステレオタイプ

    アメリカはニュージャージーの出身でVFS(Vancouver Film School)に通い、放課後はもっぱらインディ系レンタルビデオショップの老舗Black Dog Videoでお宝を漁っていたというバンクーバーゆかりの映画人ケビン・スミスの新作が発表された。(彼について以前書いた記事はこちら)実の娘のハーレークイン・スミス(本名!)と、ジョニー・デップの娘のリリー=ローズ・デップが演じるカナダの女子高生二人組が、得意のヨガを駆使してナチスと戦うというキテレツなお話。アメリカ各地でプレミアをやっていて、9月一般公開と言われているのでカナダでももうすぐ見られるのかな?

    地理的には隣人のカナダとアメリカはどちらも国土が果てしなく広く、基本的には英語を話という点は共通でも、知れば知る程文化が全然違う。どちらも愛国心が強くお互いのステレオタイプをいじるのが大好き。簡単にいえばカナダ人はアメリカ人を馬鹿だと思っていて、アメリカ人はカナダ人を田舎者だと思っている笑。予告編を見る限りYoga Hosersはよくユーチューバーが紹介しているカナダ人あるあるネタの劇場版みたいな作品だ。この動画の最初から順に解説すると、


    • まず冒頭のI'm talking アブート your entire generation. と聞こえるのはaboutのこと。カナダ訛りでアブートと発音する、とよく言うけど聞いたことない。よっぽど田舎の人は言うのかな? (実際にアブート言う人の例 https://www.youtube.com/watch?v=8YTGeIq4pSI この人の英語すごく聞き取りやすい。カナダ人は田舎者なので基本的にゆっくり話す。) サウスパークでネタにされたのをきっかけに一気に広まった説。
    • 「先生、『現実世界』なんてここにはないんですよ」「カナダですから」
    • 「あーら、ルルさんとレモンさん」→バンクーバー発のヨガウェアブランド、lululemonから。日本からは撤退したものの最近また買えるようになったと聞いた。ヨガはカナダ、とくにバンクーバーでは流行を通り越しもはや常識。
    • 「マリファナでハイなのか?」(この台詞を言ってるの誰だかわかるかな?カメオ出演)カナダ人は大麻が大好き、というイメージはバンクーバー出身の大人気コメディアン、セス・ローゲンのせいもあるかな?
    • 「Sorry!」カナダ人はよく謝る。議論ですぐに折れるとかそういうことじゃなくて、日常生活のちょっとしたことにスミマセンスミマセンとよく謝る。こちらでの友達は移民とカナダ人の半々なのでこれは顕著に感じる。フランス人とか言い訳ばっかで絶っ対謝らないもんな。わたしももちろん謝らないほうの移民。カナダ人によく謝られる笑。こないだ観た大人向けアニメ『Sausage Party』(祝・日本公開決定)にもこのネタが出てきたのでこれから観る人は注目。


    • 主人公二人がバイトしているコンビニの名前がEh-2-ZED。A-to-Z(なんでも揃う)のもじり。Eh?エィ?というのは最も典型的なカナダ訛りで、「Right? せやろ?」または「Right. せやな。」みたいなニュアンスの相槌。同意するときなどは「ヤァ、エィ?(ほんまそれ)」。これはからかわれても仕方ないくらいに本当にみーんな言うので、しばらくカナダ人といると自然にうつる。さらにZEDゼッドというのはカナダ人が発音する「Z」のこと。アメリカの標準英語ではズィーと発音する。
    • Sorry about(アブート) that連発。
    • レジカウンターのうしろに置いてあるのはタバコ、ではなくメープルシロップ(これはさすがにギャグだよ)。カナダといえばメープルシロップですが日本で買うのと同じくらい高価なのでわたしは滅多に買わない。カナダ人必須アイテムのベーコンにかけるとあまじょっぱくて美味。冷蔵庫に入れないとすぐ腐る。
    • ナチをやっつける武器はアイスホッケーのスティック。ホッケーを応援するのは国民の義務。
    • ハーレークインのセリフ、I'm not even supposed to be here today! は『Clerks』の決め台詞。
    • タイトルのHoserはカナダ由来のスラングでLoser、Idiotみたいな意味。

    他にもカナダでしか使わない独特の単語は山程ある。こういうのも映画の本編に出てきたら面白いな。

    WashroomBathoom お手洗い わたしはクセでなんとなく今もバスルームって言ってる。
    PopSoda コークやルートビアなどの炭酸飲料。バイト先でSodaくださいとか言われると「お、アメリカのどこから来たんですか?」っと話が盛り上がる。
    Tuqueトゥーク。ニット帽のこと。トゥーク以外の言い方わからん。ビーニー?
    Homo(genized) milk ホモミルク。これカナダだけなの?!3.25%牛乳のこと。
    Housecoat これもカナダだけなの?バスローブのこと。
    Double-Double ダボダボ。砂糖2ミルク2のコーヒーのこと。国民的コーヒーチェーンTim Hortons通称Timmyのみならず国内ならどこでも使える呪文。カナダ人コーヒー好きすぎ。
    Runners スニーカーのこと。
    Loonie, Toonie それぞれ1ドル硬貨、2ドル硬貨のこと。カナダでは札は5ドルから。
    Mickey フラスクサイズ(375ml)のハードリカーのこと。本当に寒い地域ではロシア人のごとく携帯するのだろうか。ああバンクーバー人でもそういえばスノボ行くときとかポケットに入れてるわ。


    地域や社会的階層によって文化やアクセントは異なるし、移民も多いし、ていうかフランス語圏もあるカナダだけど、全土に通じる「カナダルール」はまあこんなところかな。テレビや映画で見慣れてるつもりでもやっぱアメリカの人と話すと同じ英語でも全然違うなって思う。

    2015/11/25

    Dear Rookies この世界で一番大切なのはきみ自身

    母親が出版社の集まる神保町でバイトしていたので、よくゴミ捨て場でVogue NipponELLE Japonを拾ってきた。ときどきは空白のページやゲラが混ざっていたりもした。もともとオマセだったわたしは10代前半かその前からずっとこうしたハイファッション誌の愛読者だった。世界の街角のファッションスナップはお気に入りのコーナーで、ショーの合間のスーパーモデルやファッションエディターに混じってタヴィちゃんという少女を発見するたびに、こんな華やかな世界に身を置くおチビちゃんがいるなんて世界は広いや、とため息をついたものだ。当時の彼女の肩書きは<ブロガー>。彼女がStyle Rookieというブログを立ち上げたのは弱冠11歳の時(2008年)。わたしの実家にパソコンが来たのは18歳(2006年)くらいの時で、当時はmixi以外のウェブサイトにアクセスすることがほぼなかったので、彼女がどんなブログを書いているのか知らなかった。

    わたしが知ってる謎のオシャレ子供タヴィちゃん

    そのタヴィちゃんが大きくなって(でもまだ19歳)、いまアメリカで最も影響力のある文化人の一人になっていたなんてお恥ずかしながら『ヤング・アダルトUSA』を読むまで知らなかった。

    こんなに大人になった!女優としてもめきめき実力をつけているらしい

    ちょうどRookie Yearbook 4が発売されたところだったのですぐに注文。Rookie Yearbookとは、彼女が主宰するウェブサイトRookieに載った記事の傑作選に書き下ろし記事を加え毎年秋に書籍で出しているものだ。フルカラーのワイド版で手にとってみるとずっしり重く、まさに「おもちゃ箱をひっくり返したような」色彩の洪水のなかに膨大なテキストが詰まっている。ティーンによるティーンのための同ウェブサイトが扱うトピックは「Action」「Work」「Dedication」といった月ごとの大テーマに沿い、ティーンらしくカワイイものへの礼賛は基本としながら、DIYや痴漢撃退法や宿題のヒントといった実用的なもの、さらにジェンダー、差別、暴力といった社会問題など幅広い。実体験を交えた考察は手探りながらも力強く、まさに「個人的なことは政治的なこと」だ。それがあくまで楽しく、アートワークや記事に合わせて聴きたいプレイリストとリンクしている。ティーン特派員の取材による各界および各世代を代表する豪華ゲストの特別講義もある。編集委員長のタヴィちゃんを筆頭にほとんどのクリエイター陣が若い女の子なのでどうしてもフェミニズム色を帯びるが、もちろん男性もウェルカムだ。たとえばAsk a grown manのコーナー。16歳と13歳の娘を持つジャド・アパトウがティーンのお悩みに回答。




    「自分を変えることなんてできない。変わったつもりでも、それは無理をしている自分でしかないんだ。君は君のままでパーフェクト、変わらなくたっていい。変えるんじゃなくて、上げるんだ」

    彼が参照している70年代のこども番組のテーマソングはこれ。



    The most important person in the whole wide world is you and you hardly even know you
    (この広い世界で一番大切なのは君自身、君はそんな大切な自分のことをよく知らないみたい)
    The most important person in the whole wide world is you come on we’ll show you
    (この広い世界で一番大切なのは君自身、おいで、見せてあげるよ)
    It’s all about the things you feel and do, because you’re the most important person in the world to you
    (全ては君がどう感じ何をするかなんだ、だってこの広い世界で一番大切なのは君なんだから)

    「ぼくはみんなと違う、だから孤独だ」「みんなができる事ができないんだ」と泣きわめく毛むくじゃらの異星人に、車椅子やデブや黒人の子供が「逆にみんなはあなたができることができないかもしれない」「自分がみんなのできることしかできなかったらそれはそれでいやじゃない?」「この世界をこんな風に見ることができるのはただ一人わたしだけ(ドヤァ」と語りかけるこの本編もいいなあ。アメリカやカナダの子どもたちは小さい頃からこういう教育を受ける。自信とプライドを持つのはもっとも重要なことだ。セルフ・リスペクトはナルシシズムとは全然違う。

    わたしがVogueやELLEについて好きだったことは、豊富なカルチャー記事だった。数百万円のドレスや指輪はもしかしたら一生手に入らなかったとしても、宗教や絵画や本や映画、古いレコード、ほんとうの贅沢とは何かについて考える時間は四畳半アパートの台所にしゃがんだ中学生にも等しく与えられる。一流セレブや旬のモデルのインタビューも刺激的だった。彼女たちは美しいだけではなくて賢く、そして強い。そうでなければ生き残れない世界だ。今もマドンナの言葉を覚えている。「わたしはわたし自身に敬意を払っているから、身体や精神に悪いことはしない」。シンプルで毅然とした美学。でもこんな言葉は日本のティーンには届かない。若い女の子向けの雑誌が喧伝するもっとも価値のあることとはモテること、かわいくなること、痩せることである。小さな顔に二重のお目目、流行りの髪にカモシカ脚…。それを手に入れるためなら犠牲もいとわない。大好きな人に好かれたいのは当たり前。だけど好きでもない漠然としたヒトに好かれるため、社会の承認を得るために自分を変えようとして幸せになれた?自分の好きな服は?髪やメイクは?小説は?音楽は?場所は?自分はどうなの?10代はあまりに短く、世界から愛されることに腐心していたらロクな大人になれたもんじゃない。You're what you love. 自分を自分たらしめているのは、自分が何を愛しているかだ。自分の好きなものを愛そう。自分を愛そう。自分の人生は自分のもので、誰のものでもない。誰にも渡しちゃいけない。繰り返しそう説くRookieに出会えた現代のティーンたちはほんとうに恵まれているな。Webマガジンだから無料で、インターネットの接続さえあればどこの誰でも今すぐアクセスできる。Rookieはウェブサイトであり、コミュニティであり、社会現象である。そんな一大プロジェクトを10代の女の子たちが作ってしまうなんてすごいや。女の子は世界を変える!ガールズパワー万歳!…と言ったら恋人は「まるで男の子にはできないみたいな言い方だね」と不満気だったけれど。

    RookieYearbookの第一号がこの度ついに日本語に翻訳されたらしい。尊敬する乙女ライターの山崎まどかさん@romanticaugogoの呼びかけで、若い世代のインターンが翻訳に関わったそうだ。これをきっかけに日本にもRookie的な運動が起きて、未来を変えてしまえばいい。

    2014/10/15

    Here comes Girls 祝!Girls日本で放映決定

    大好きなドラマ、Girlsがついに日本のスターチャンネルで放映開始!わーんうれしいなあ!初回は10月15日。見逃した人もケーブルテレビに入っていない人も期間限定で11月7日までBRILLIANT CINEMA CLUBにて会員登録すると第三話までの吹き替え版が無料で見られちゃいます。みんなでハマろうぜー!友情、音楽、ファッション、○○系女子的カテゴライズなど、ありがちな女子ドラマキーワーズが登場しますが、そういうのが苦手な人にも、もちろん男性にも「刺さる」素晴らしい作品です。こんな時代に20代を生きるのって、なかなかしんどい。

    ちひろうさぎによるGirlsレビューはこちら→シーズン1 シーズン2

    Girlsをつくったのはシーズン1開始当時弱冠25歳だったレナ・ダナム(本当はリーナ・ダナムと発音する)。NY出身、大学ではクリエイティブ・ライティングを学び、短編映画などを撮っていたところコメディ界の大物ジャド・アパトウに見出され、アメリカ大手ケーブルテレビ局HBOの連続ドラマ枠を獲得。自ら監督脚本主演をこなし一躍時代の人となった。


    この大役を任された頃に書き始めたという彼女の初めてのエッセイ本、Not That Kind of Girlが9月30日に発売されました。もちろんゲットだぜ!


    一部をNewYork Timesのサイトで読むことができます こちら
    70年代風の装丁がかわいい。'A young woman tells you what she's "leaned"'=とある若い女子がこれまで「学んだ」こと教えます(このかぎカッコが大事)、という副題の通り、レナが自らの経験を基に同世代の女の子たちに生きるヒントを与えるというコンセプト。まだ少ししか読んでないけど、レナは思った以上にハンナ(『Girls』)なんだなあ。シーズン2に出てくるOCD(強迫性障害)との付き合いや、男の子に大切にしてもらえなかった惨めな気持ち、元カレがゲイになった話や、インターンでセクハラを受けたこと。ハンナが創作した短編の「メル友が死んだ話」も実話。シーズン2の「わたしがみんなの代わりに身体張って失敗してあげる」っていうのはレナ自身の宣言だったみたい。


    自らの太っちょボディのことも。Girls開始当初からさんざん「デブだ」「デブなのになんで脱ぐんだ」と言われてきたけど、別にそんなに太ってるとは思わないし、人間裸になるのは当たり前のことだとわたしは思う。ただ「メディアに登場するにふさわしい裸体」の基準と違うというだけでアメリカ人が過剰反応してるのね(ちなみにヨーロッパでは軒並み『リアルでイイネ』という評価らしい)。それからもちろん仕事の話も。ハリウッドで女性が成功することの難しさ。なんとかして有名になれた理由を見つけようとする人たち(「プロデューサーと寝た」「親のコネ」などなど)。ここまで書いてわかるように、レナ・ダナムはフェミニズム論争の格好の的なのだ。シーズン1第3話でジェッサを激怒させるListen Ladiesや、Not That Kind of Girlの序章で「この本の元ネタ」と紹介されるHaving it All。女性が声をあげることはそれ自体特別な意味を帯びる。女性が女性に「指南」するのはどうにもウザイが、レナはそれを百も承知の上で「本を書くことで誰かが共感してくれたら自分がひとりじゃないって思える、そういう個人的な試みでもあるかな」と言う。この本でもGirlsでも、レナはかっこ悪い自分を隠さない。欠けたところを補って理想の自分に近づくのって、疲れちゃう。実際は誰もがもがき、苦しみ、恥をかき、それをどうにか消化して生きるしかない。今までのどんなドラマとも違う等身大のアンチ・サクセスストーリー、ぜひ多くの人に見てもらいたいです(広報部か)。

    2014/05/27

    ちひろうさぎのお気に入り映画リスト Movies to Know Who I am

    別れてから仲が良くなったセビくんのためのごく私的な映画リスト。彼に観て欲しくて、彼がまだ観たことのないもので、カナダでも手に入りやすいものをリストアップしたものなのでいわゆるオールタイムベストとは異なります。コメディとか、好きなのはもうけっこう一緒に観ちゃったからな…

    Babe, here is the list of movies I was talking about. Movies that you must see, you haven't seen, and are available on DVDs or online streaming in Canada. So again the list doesn't contain the ones I know you've already seen. I'd love to watch the movies below with you <3

    BEST OF BEST

    Ghost World (2011)
    This is exactly how I see the world: everybody is too dumb and they actually look happy. The two sarcastic girls Enid and Rebecca who've just graduated from high school are close friends that can't relate to dreary life in an American suburb. They get to know this old geeky loser through a prank call responding a newspaper ad for a date. Enid actually finds him cool as they hang out and share their interests like old vinyls. Meanwhile Rebecca, played by young Scarlett Johansson, eventually outgrows Enid. Enid doesn't really mind it since she's totally into Seymour, the old guy, but when he legitimately starts dating a mature lady she realizes she's getting isolated. Her family, Rebecca, Seymour... a few people of her are all leaving her alone and she was the one who ditched them first.
     
    This film inspired me a lot...the taste of irony, colorful clothing, blues and ragtime music, American underground comics etc. The documentary movie Crumb that I'll put in the list later is also related to the world of Ghost World. Just thinking about that world never makes me completely lonely.


    Pink Flamingo (1972) and all other films by Sir John Waters
    John Waters aka pope of trash is my god. I DO NOT recommend his movies but somehow they've been essential to my life. I really can't pick one but for you this one would worth to check since is the most notorious epic. Pink Flamingo is an ultimate sweet fantasy known as the king of cult movies. Filthy people come into a conflict to grab the honor of  'the filthiest person alive'. Most significantly Waters's muse Divine, in picture below, eats a fresh dog turd at the end. Very sweet. She/He (It's a guy, obviously) did it for what? Nothing. This whole movie means nothing. Mr. John Waters made this movie to simply disgust audience. Some believe movies are meant to contain lessons of life or some sort of messages... fuck that shit. I'm offended by those fascists who believe what they are touched must touch all mankind. This disgusting piece of shit they would call is actually my best friend, treasure, and painkiller against this filthy world.


    Faster Pussy Cat, Kill! Kill! (1965)
    A visual drug. Just watch the first few minutes and you'll get high. I was really impressed when I got to see this on screen at Rio theatre... The director/ boobs fetishist Russ Mayer's art of editing is stunning as John Waters called him 'the Eisenstein of sex films'. And nothing is better than seeing women beat stupid guys up. Yes, as you know I'm a twisted feminist. The last sequence of Death Proof is an homage to this movie. (Oh Tarantino is my hero but I bet you've seen most of his films.) Tura Satana, in the picture, became a lesbian icon and was a genuine Karate master who had Japanese descent. And was genuinely mean in her real life. Go! baby, go!


    FAVORITE

    What Ever Happened to Baby Jane? (1962)
    Knocked Up (2007)
    Can't Hardly Wait (1998)
    Spun (2002)
    Ed Wood (1994)

    LOVE STORY

    Annie Hall (1977)
    Eternal Sunshine of Spotless Mind (2004)
    Blue Valentine (2010)

    QUEER

    But I'm a Cheerleader (1999)
    Fox and His Friends [Faustrecht der Freiheit] (1975)

    DOCUMENTARY

    Crumb (1994)

    INTERNATIONAL

    L'Empire des sens [愛のコリーダ] (1976)
    The Bitter Tears of Petra von Kant [Die bitteren Tränen der Petra Von Kant] (1972)
    Old Boy [올드 보이] (2003)

    TV SHOW

    Freaks and Geeks  (1999–2000)
    Girls (2012-)

    JAPANESE ANIME 

    you know AKIRA (1988) right?
    I'm not a big fan of animated movies but this is the one I've mentioned before,
    Perfect Blue (1997)
    and this seemingly worth to see:
    Ghost in the Shell (1995)

    2014/05/11

    Cinema Review: Neighbors


    Neighbors (2014) imdb 予告編

    バンクーバー出身超人気コメディ俳優のセス・ローゲン主演最新作。監督は『寝取られ男のラブ♂バカンス』『伝説のロックスター再生計画!』『憧れのウェディング・ベル』のニコラス・ストーラー!超楽しみにしていたので封切り日に張りきって観て来ました。週末をスタートするのにピッタリなパーティー映画。

    ハッパ大好きなダメ若者役でおなじみのセスが今回はサラリーマンのパパ役。愛する妻、乳幼児の娘と共に閑静な住宅街に暮らすが、ある日突然真隣に引っ越してきたのはフラタニティだった!24時間365日態勢で爆音パーティを繰り広げるリア充大学生集団から家族を守るため立ち向かう夫婦軍は、フレンドリーに接してみたり、仲間割れを狙って作戦を立てたり、パーティを荒らしたりと奮闘する。警察なんか信じねえ、大人をナメるでねえ!しかしフラタニティ軍は若い発想と抜群のチームワークでビクともしない。隣人=Neighbors大戦争の火蓋は切って落とされた。



    フラタニティ=友愛会というのは日本にない制度なので簡単に説明しておくと、大学の男子学生寮とオールラウンドサークルが一緒になったようなもの(同じコンセプトの女子版はソロリティと呼ばれる)。デルタ、オメガといったギリシャ語の名前がついており、フラットメイトは実の兄弟のように固い絆で結ばれる。名門フラタニティに入れば上級生の強力なコネにより卒業後の進路はカタく、そのため女にもモテまくりだが、入会するには既にコネや卓越したルックスが必要。独自のコールがあったりゲームを発明したり、代々受け継がれる飲み会文化は日本の大学サークルと全く同じノリだ。このへんは負け組フラタニティが名門フラタニティをやっつける超名作『アニマル・ハウス』を参照されたい。Neighborsに出てくるのは欲望のまま青春を謳歌する超ナンパなフラタニティ。マリファナ、ドラッグ、テキーラにビデオゲーム、頭カラッポ金髪ギャルが入り浸りやりたい放題。会長は最近見かけないと思ったらドラッグのリハブに行っていた『ハイスクール・ミュージカル』のアイドル俳優ザック・エフロン、副会長はジェームズ・フランコの実弟デーブ・フランコ。巨根(という設定)のメンバーに'マクラビン'ことクリストファー・ミンツ=プラッセ!ブロマンスコメディとフラタニティはホモソーシャル的な意味で相性抜群で、チンコネタ満載。R18指定なので容赦なし。

    セスの嫁役はオーストラリア訛りがチャーミングなローズ・バーン(『ブライズメイズ』『伝説のロックスター再生計画!』)、夫婦軍に参戦するパーティ好きの友人役に『スーパーバッド 童貞ウォーズ』で生理だったカーラ・ガーロ、大学理事長役にリサ・クドロー、さらにチョイ出のJorma TacconeAndy Sambergとコメディ界のスターが勢ぞろい。しかし何といっても本作のMVPはこの方々でしょう。ステラ役のElise Vargasちゃん、Zoey Vargasちゃん!



    本っ当に涙が出るほどかわいくて、劇場が一体となり「うほぉーん…」と変なため息を漏らしていました。エンドクレジットで気づいたんだけど双子ちゃんなのね。こんな天使がおうちにいたらどんなに幸せだろう…。だけど子育て経験のある人だったらきっと「かわいいだけじゃない。大変なことのほうが多いくらいだ」って言うんじゃないかな。子供ができたら夫婦の時間も友達との時間も夜遊びも我慢しなくちゃならない。大学で知り合って結婚した主人公の新米パパママは未だに少しパーティに未練があり、ハメを外して暴れまくる隣人の若者たちが正直羨ましくなったりもする。一方、遊んでばかりなので当然卒業後の未来は暗い寮キャプテンは夫婦を見て「大人になるってなんて退屈なことなんだろう」と絶望する。彼だけじゃない、みんなこの瞬間は永遠じゃないと気づいている。だからこそ今日パーティしなくちゃ。しかし最後にセス・ローゲンパパが出した「僕ら家族がパーティなんだ。僕が絶対逃さず参加したいパーティはこれだけだ」という答えは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の「俺の人生はつまらなくなんかない!家族がいる幸せをあんたたちにも分けてあげたいくらいだぜ!」by野原ひろしに通じる感動的なオヤジ賛歌だった。大人になることは決してつまらないことなんかじゃない。いつだって変わることは少しこわいけれど、変わるしあわせの形にあわせてしなやかに生きることを、つまり成長と呼ぶらしい。若さに乾杯、成長に乾杯。パーティ・マスト・ゴー・オン!

    2014/03/12

    Cinema Review: Oldboy (2013)

    「なぜ監禁されたのかと尋ねるな、
    なぜ解放されたのかを問え」

    Oldboy (2013) 2014年6月日本公開予定 imdb 予告編

    韓国映画『オールド・ボーイ』のリメイク。リメイクの話はかなり前に出ていて(2008年頃)、当初スピルバーグが興味を示しているという話だったはずなんだけど結局スパイク・リーになったのね。オリジナル版はわたしのオールタイムベストのひとつなので当然ハードルは激アゲです。初めて観た後、すごすぎてしばらく動けなかった記憶…。まだ観てない人がうらやましい、超ネタバレ厳禁映画。なるべく予備知識なしで、絶対にオリジナル版を観て欲しいです。というわけでなるべくストーリーの本筋に触れないように書いていきますが、読まないほうがいいかも。まずは観て!

    ある雨の日、男は忽然と消えた。彼は拷問もされず、殺されもせず、ただ毎日食事(リメイク版ではウォッカも)を与えられ小さな部屋に監禁される。部屋にはテレビにベッド、ノートとペン、シャワー室。窓はない。それが15年間(リメイクでは20年)続くと知っていたら少しはラクになっただろうか?気が狂っただろうか?妻が惨殺されたこと、娘は無事なこと、自分が妻殺しの容疑者になっていることを報じるテレビニュース。自分だけを置き去りにして世界は回る。いったい誰が何のためにこんなことを?なぜ突然解放されたのか?愛する娘はどこだ?

    というストーリーは思った以上に忠実にリメイクされていたけど、オリジナルで「若干気になる、けどそんなの全然どうでもよくなるくらいよかった」という部分がちゃんとつじつま合うように修正されていて、そこはもう改善と言ってもいいと思う(このアイデアをパク・チャヌクが思いついていれば!)しかしそれと同時に映画ってつじつまが合う合わないとかそういう問題じゃないんだよなあ…と再確認させられた。これじゃただのよくできたサスペンスだ。Apple製品大活躍+男女コンビで謎解き、ということでちょっと『ドラゴン・タトゥーの女』っぽい。

    オリジナルを撮ったパク・チャヌクはメタファーを多様した幻想的な世界観を魅せる作風で知られていて、多少のストーリーのアラも寓話のように美しくまとめてしまうのがうまいしズルくもある。具体的にネタバレしない範囲で言うと、オリジナル版では二人が共通して経験するアリの幻覚で気のおかしくなりそうな孤独とその共有を表現しているのに対し、リメイク版ではヒロインの元彼が「あの娘は傷ついてるんだ!これ以上傷つけるな!」と言ったり、本人がぐじぐじイジけて「あたし昔はアル中で薬中だったの」と言ったり、というかただ言うだけで、あまりに雑すぎると思った。ある種のトリックで出会う主人公とヒロインだけど、リメイク版ではその非科学的な設定を完全にとっぱらってしまったためにかえって現実感が無くなってしまっている。悲しい過去のために人助けの仕事をしていて傷を負ったダメ男を放っておけないヒロイン、というのは二人を結びつける理由としては不十分。中途半端にリアリティを追求したせいでダメになっている部分が多かった。まあ、そもそもファンタジーっすからね…。

    こんな傘差してる女いたらあやしすぎる
    (これ幻覚じゃないんだよ、へんなの)



    バイオレンス描写はグロ含め一応継承されていた。でもこのカナヅチのカットとか伝説の横スクロール戦闘シーンとか…そっくりマネしても意味がないと思うぞ。

    サミュエル兄さん

    悪いやつは黒人!これは黒人映画をいっぱい撮ってきた黒人のスパイク・リーだからこそイヤミなくできた芸風。獄中で身体を鍛えた主人公がシャバに出て真っ先に白人のジョックス共をボコボコにするのには笑った。その直後にヒロインと出会い、少し後に狭い部屋で二人きりになるシーンがあるのだが、20年ぶりに生身の女に触れた男のリアクションとしては不自然だろう。オリジナル版の主人公は初めて目にした他人(男)の温もりに感激しほとんどキスする勢いで、初めて目にした女(オバチャン)を襲う。ギラギラみなぎる人の欲望、生や性への執着は韓国映画の得意科目だ。生ダコを喰らう名シーンはもちろんなくなっていた。その代わりに水槽の中のタコを眺める、という形で一応オマージュを示してはいる。オリジナル版でキーアイテムになっていた羽もさりげなく出てきたし、監督は単純に「この映画超おもしれー!でもラストこうだったらもっとよかったのに!」という、いちファンなんじゃないかという気がしてきた。だったらどうして、ズンと心に響く物語の主題を薄めてしまったんだろうか。独特のブラックユーモアから生まれるリズム感も完全に無視されていたし。



    当たり前だけど映画って文化に大きく依存しているから、無理矢理違う文化の文脈に変換しようとするといちいちボロが出てしまう。韓国語のアジョシ(おじさん)というのは英語に翻訳できない言葉で、だから翻訳できない距離感で、これをジョー(=オ・デス)と呼び捨てにしてしまうと味気ない感じだ。あの「サランヘヨ、アジョシ」がないなんて…だめだよやっぱ。ずばり『アジョシ』もハリウッドリメイク予定とか聞いたけどどうするんだろう、アジョシ問題。パク・チャヌクのいわゆる復讐三部作の残りふたつ『復讐者に憐れみを』『親切なクムジャさん』も、韓国映画は韓国映画だからいいのであって、いくらお金をかけて焼きなおしてもオリジナルを超えられる予感が全くしない。ていうか比較的なんとかなりそうな『渇き』はあえてスルーなのん?

    imdb, YouTube, Googleなどでoldboyで検索するともうリメイク版が先に出てくる。韓国映画スゲエというのは映画ファンの中では常識だが、世界の大半の人にとっては馴染みの薄いジャンルで、オリジナルを観る機会を得ない人やむしろリメイクだって知らないで観る人もいるのかと思うとなんだかモヤモヤ。ちなみにこの『オールド・ボーイ』っていかにも韓国的なテーマだと思ったんだけど、原案は日本のコミックなんだってね。日本映画もうちょっとがんばれや。

    2014/03/03

    追悼 ハロルド・ライミス


    ハロルド・ライミスが亡くなった。『恋はデジャ・ブ』『アニマルハウス』『無ケーカクの命中男』そして『ゴーストバスターズ』など、彼の映画にはさんざん勇気をもらってきたし、これからも希望を無くした時はいつでも彼に助けを求めるだろう。

    先日バンクーバーでは珍しい雪が降ったのと、2月だからということで『恋はデジャ・ブ』を見返したばかりだった。雪深い田舎町と時間の無限ループに閉じ込められた傲慢な男が、同じ2月2日を延々と繰り返し生きるというお話。今日も昨日と全く同じ事が起こるとしたら?性格の悪い彼でなくたってまずは悪さをはたらくのが人間の性というものだろう。しかし女にちょっかいを出したって、強盗でお金を手に入れたってそれは今日限りで価値を失い、明日にはまたリセットされて同じ一日が待っている。絶望した彼はあらゆる手段で自殺を試みるが、やっぱり目が覚めると2月2日に戻ってしまう。やがて彼は一番身近にいる同僚リタに惹かれていく。歪んだ時間の法則を利用し彼女の好みを徹底的に調べ上げアピールするが、付け焼刃で手に入れられるほど恋は甘くない。だけど明日はもっとうまくやれるはずだ。物質的な富は毎日リセットされても彼の経験だけは引き継がれ蓄積するのだから。彼女を喜ばせようと試行錯誤するうちに彼の心の中に善が芽生えていく。今日起こる災難から人々を救いたい。今日死ぬ老いた男の最後の一日がいい日であって欲しい。奪っても与えてもどうせ明日が来ないならば与えてみたほうが気分がいいのだ。どんな明日が待っていても、明日が無かったとしても今日を善く生きよう、明日忘れられたとしても目の前にいる人を今幸せにしよう。そう決意した時ついに魔法が解ける。こんな道徳的なテーマを一切の説教くささなしに描ききった名作だ。



    日本では町山智弘さんが「ニーチェの永劫回帰を一本の映画が簡単に説明してしまった」と紹介したことで再評価された作品。ニーチェは「神は死んだ」という言葉で有名な通り神の存在を否定し、神に死後の救済を求める代わりに自ら今を正しく生きよと説いた。

    ライミスはニーチェの影響を認めながらも、自身の宗教観をBuddhism(仏教)ならぬBuddh-ish(仏教、みたいな)と表現していて、「コメディ界のブッダ」とも呼ばれた。諸行無常、諸法無我。彼のお気に入りのクオートのひとつに「Ride the horse in the direction it's going(乗った馬が目指す方角に従え)」というのがある。心配ばかりしないで流れに身を任せしなやかに生きよという意味だ。「人は理解したり理解したフリをすることで物事をコントロールしようとするけど、この先何が起こるかなんていくら考えても誰にもわからない。わからないことは正直に『アイドンノー』と認めて、周りの声に耳を傾けたほうがいい。」

    無ケーカクの命中男』は脚本も監督もジャド・アパトウだが、この台詞はいかにもライミスらしい。

    "Life doesn't care about your vision. Stuff happens, you just got to deal with it. You roll with it, that's the beauty of it all. "
    人生はお前の将来のヴィジョンなんて気にしちゃいないのさ。ただ運命に身を任せて、起きた出来事をどうにか始末していくしかない。それだけがお前にできる事だ。

    わたしが本当に参っていたときに救われた言葉で、以前にもブログに引用している。『無ケーカクの命中男』はノーテンキなタイトルに反し、人生のさまざまなステージにいる男女の成長を真摯に見つめたコメディだ。主人公のベンはクラブで知り合った美女アリスンと酔った勢いでセックスしてしまい、さらに妊娠させてしまう。彼は子供のまま身体だけ大きくなってしまったような人でニート、一方彼女は昇進したばかりのキャリアウーマン。双方にとって最悪のタイミングだ。「こんなの俺の人生プランと違う!一応将来のヴィジョンとかあるのに!」と焦る彼に父親役のライミスは優しく、しかし迷いなく語りかける。ジャド・アパトウはこのたびの訃報に「主人公の父親役をオファーしたのは、彼がぼくらの理想の父親だったから―面白くて、温かくて、そして賢い。彼はぼくが今まで出会った中でもっとも優しい人間の一人だ。多くの若手が彼にインスパイアされてコメディ界を志した。彼の作品はこれからもずっと人々をハッピーにするだろう」とコメント。他にも旧友ビル・マーレイ、チェビー・チェイス、ダン・エイクロイドはもちろん、スティーブ・カレル、カット・デニングス、ジャスティン・ティンバーレイク、ラシダ・ジョーンズ、セス・マクファーレンなど多くのセレブリティが追悼メッセージを発表した。先ごろ行われた第86回アカデミー賞授賞式でプレゼンターを務めたビル・マーレイがノミニーを読み上げた後、「そしてもう一人、ハロルド・ライミス」とアドリブしたシーンは感動的だった。二人は『恋はデジャ・ブ』以降絶縁状態だったという。

    ハロルド・ライミスはシカゴ出身。プレイボーイ誌のエディターを経て地元のお笑いアカデミーThe Second Cityに参加。ジョン・ベルーシらとニューヨークに移りビル・マーレイやジョー・フォレアティ(『フリークス学園』のパパ!)と共にオフブロードウェイショーThe National Lampoon Showに出演。そこから創成期のSNLに行った仲間たちといったん別れ、カナダのコメディーショーSCTVのヘッドライター兼パフォーマーとしてテレビのキャリアを開始。National Lampoonのプロデューサー、アイヴァン・ライトマンのオファーで『アニマルハウス』の脚本を書き、かねてから志していた映画業界デビュー。同作は史上もっともヒットしたコメディ映画として今もなお世界中で愛されている。


    ソーシャルネットワーク』にも出てきたアメリカの大学の友愛会制度を題材に、負け組が勝ち組に一泡吹かせるというお話。成績は悪いわ、問題ばかり起こすわ、ブサイク揃いだわのデルタハウスだが、彼らには彼らなりの青春があるのだ。エリートイケメン集団オメガハウスとグルの学園理事会にハメられ、退学を命じられ、友情とモラトリアムの象徴であるハウスをつぶされ、さすがにヘコむボンクラどもをメンバー一の変人ジョン・ベルーシがけしかけるシーンは何度見ても心が熱くなる。Nothing is over until we decide it is!


    ライミスはインタビューの中で「映画やテレビの影響って刷り込み(imprinting)みたいなものだ。たくさんの人の心にぼくの映画が刷り込まれ、記憶に残っていると思う。僕らが死んだ後もみんなが何かの拍子で映画を思い出して、何かしらポジティブな力を見出してくれたらいいな」と語っている。彼の映画も、彼自身も、いつだって前向きでハッピーだ。ユーモアに勝る武器などないと教えてくれた。ありがとう、ハロルド・ライミス。あなたはいつだって笑顔。

    2014/02/25

    Cinema Review: Hannah Arendt

    The Act of Killingを観てからというものの<悪の凡庸さ>って何だっけ?とずっと考えている。多少資料を持っていたはずだが日本に置いてきた(もう捨てられたかも泣)。電子書籍なんか邪道じゃいと思っていたけどこういう時便利なのね。しかし現段階での日本語書籍のラインナップを見てやっぱり購入には至らない。ゴミが減ってよかったねとは思う。

    アーレントの日本語訳がこちらで手に入るわけもなく、当然電子書籍にもなってなかったのでこれを機に英語で読んでみることにした(オリジナル版が英語だと知らなかった。ドイツ語かと思った)。<悪の凡庸さ>は『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』に詳しいと思うが、日本語で少し読んだことのある『全体主義の起源』の方が単純におもしろそうなのでこっちに。翻訳だと一冊5000円の三巻組で学生時代の自分には手が届かなかったけど、ペーパーバック版はぎゅっと一冊にまとまってお値段24ドルとコンパクト。タイトルはそのままThe Origins of Totalitarianism。第三章Totalitarianismから読み始めた。(今のところ)アーレントの議論はやや抽象的だが、そのぶん文章が美しくてかっこよくてウットリする。

    携帯カメラで撮ったらなぜか反転してる

    少し前(だいぶ前)に急に日本でドラッカーやサンデルが流行ったけど、アーレントやオルテガの<大衆>の概念なんてそれこそ中二病炸裂で超パンクなのにどうして流行らないんだろう(べつに流行って欲しいわけではないが)。アーレントが映画になったのでこれはブーム来るか?と思ったんだけどなー。


    Hannah Arendt (2012) 『ハンナ・アーレント』 日本公開中 公式サイト imdb 予告編


    ハンナ・アーレントはナチス時代のドイツに生まれたユダヤ人で、フランスへ逃れ、その後アメリカに亡命した思想家。最終的に市民権を獲得するまで18年間も無国籍状態にあったという。ドイツの大学ではハイデガーに師事し、禁断の愛人関係になるが、そのハイデガーはナチス党に入党…と、そもそも映画のようにドラマティックに生きた人だ。この映画は1963年、彼女がニューヨーカー誌に寄稿したアイヒマン裁判についてのリポートが論争を引き起こした事件に焦点を当てている。

    アドルフ・アイヒマンはナチス親衛隊のメンバーで、ユダヤ人虐殺について重要な決定権を持った人物だ。戦後は戦犯として指名手配され、アルゼンチンで身柄を拘束される。アーレントは彼の裁判の取材を切望しイスラエルへと向かった。


    法廷には原告の生還者と600万人の失われた魂。憎悪の集中砲火にさらされるアイヒマンは裁判中に暗殺されないよう防弾ガラスの小部屋の中にいる。彼の供述を聞いたアーレントは衝撃を受ける。アイヒマンは悪魔ではなく、ただ命令に従って仕事をこなす小役人だったのだ。彼が死の宣告を下した幾多の命は彼にとっては紙の上の数字でしかない。きっとサラリーマンよろしく上司から依頼を受け、指定された締め切りに間に合わせたりしたのだろう。20世紀は大衆の時代だ。合理化、システム化された巨大な官僚組織の中で自分の仕事をこなすだけの個人はそれがめぐりめぐって強大な悪に加担していることに気づかない。当然悪意もない。というよりは思考も想像もしていないのだ。最もおそろしい悪とは思考しない普通の人間が行う、悪意のない悪―彼女はこれを<悪の凡庸さ>と呼び、現代社会の病理を告発した。

    この記事が発表されるやいなや彼女は激しい非難を浴びた。絶対的な悪であると信じられていたアイヒマンを「(あなたたちと同じ)普通の人」と表現したことは彼の擁護と解釈され、そして最も論争を呼んだのはユダヤ人組織がナチスに協力したという事実を暴いた部分だった。ヒステリックで流されやすいのもまた大衆の特徴である(要するに大衆はバカなのだ)。アーレントは「記事を読んでもいない人間が批判しているんだ」と毅然とした態度でいるが、教養ある親友らすら手のひらを返したように離れていき、講義を持っていた大学からも辞職を促される。Thinking is a lonely business―ハイデガーの言葉を思い出すアーレント。

    ハイデガーとのエピソードは断片的にフラッシュバックするがなんだかぎこちなく映画に馴染んでいなかった。20世紀を代表する思想家アーレントの人間としてのチャーミングさを強調したかったのかもしれないが夫のブリュッヒャーとやたらイチャついているのはただ居心地が悪いだけ。「考えることの強さ、勇敢さ、痛み」に結論を持っていくならヌルいヒューマンドラマよりも思考することのスリルを見せるべき。アーレントという人が面白いのであって映画はちっとも面白くなかった。主演のバルバラ・スコヴァの演技がよかっただけに残念。

    アーレント本人。才色兼備でチェーンスモーカー。

    2014/02/16

    Cinema Review: The Act of Killing

    尊敬する柳下毅一郎さんが2013年のベストに選んでいたThe Act of KillingがこちらではもうDVDになったので鑑賞。日本では昨年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭(行きたかったなー!)で『殺人という行為』の邦題で上映されていて、今年4月に『アクト・オブ・キリング』として一般公開されるようです。

    劇中のこの巨大な魚はインドネシアのトバ湖の近くにある元レストランだった建物で、
    治安悪化による観光産業衰退の影響で今は廃墟なんだって

    The Act of Killing(2012)『アクト・オブ・キリング』 2014年4月 日本公開予定 公式サイト imdb 予告編


    1965年、インドネシアでクーデターが起こった。軍の独裁支配の下、組合メンバー、識者、中国人はまとめて「共産主義者」と呼ばれ処刑された。準軍事的集団やギャングによる組織的大量虐殺の被害者は100万人に及ぶという。映画は冒頭にこんな言葉を引用する。「殺人は禁じられている。ゆえに殺人を犯したものは罰を受ける。ただしトランペットの音色に合わせて大量の人間を殺した場合を除いて。―ヴォルテール」そう、インドネシアの殺人者たちは罰せられるどころか国のために戦った英雄として今なお称えられているのだ。彼らには罪の意識が全くないのだろうか?その手でたくさんの命を奪った当事者に当時の再現映像を作らせるという手法でもって、人を殺すとは何か、正義とは何か、さらに演じるとは何かをあぶりだす画期的なドキュメンタリー。タイトルのActは行為とも演技とも訳される。(日本公開タイトル、原題に戻して正解だね。)


    「最初は殴り殺してたんだけど血を片付けるのが面倒だろ?ひどい匂いだし。だからこうしてワイヤーで首を絞めるほうがはかどるんだ」 1000人は殺したと豪語するアンワー爺さんは虐殺の現場を嬉々として紹介する。

    あるものは言う。「戦犯の定義を決めるのは勝者だ。俺は勝者だから俺が正義を決める。」善悪の基準はうつろいやすいもので、ある文脈―一番簡単な例でいえば軍の中では殺人は正義だ。悪は善と同じように人間に備わった普遍的な性質だが、誰の心にも人を殺せる才能が眠っているとしたらなんとおそろしいことだろう。

    映画に登場する数々の悪人の中で最も醜悪だと思ったのは反共産主義運動に加担した新聞社の男だ。ヘイトスピーチを行い、また社のオフィスで人々を尋問しては「有罪」としてギャングや軍に引き渡していた。「俺は人殺しなんかしねえよ。する必要がないだろう。俺はウィンクする、後の始末はあいつらがやるさ」彼の罪悪感を麻痺させているのは「自分はそのとき正しいと思った事、やるべき事をやっただけ」という「仕事」の意識だ。これがハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」だろう。直接手を汚していないから悪くない。命令だから殺した。人殺しが人道に背くことは誰でも知っている。罪の転嫁のバトン競争で世界は回り、一部の人間だけが運悪く罰を受ける。

    「映画の後なんか、歌って踊って、そんなテンションのままハッピーに殺しをやったもんさ。」チンピラ業の一環として映画のチケットダフ屋もやっていたアンワーはなかなかのシネフィルで、マーロン・ブランドやアル・パチーノ、ジョン・ウェインをフィーチャーしたギャング映画に影響を受けたという(ワイヤーで絞殺する方法も映画にインスパイアされたらしい)。撮影にはノリノリだ。

    あこがれのクレーン撮影

    「ちょっと小道具を用意したよ。
    やっぱギャングってのはこう、帽子を被ってるもんだろう」

    被害者側も加害者側もおそらく生まれて初めてカメラの前で演技するであろう人々が、あれ…これはシャレにならないぞという空気を即席で作り出してしまうのには驚いた。筋書きのないストリートの寸劇に子供は泣き叫び、大人は発狂し、役からこちらの世界に帰って来られない人間は放心状態である。たとえ演技(act)であっても行為(act)は感情を呼び覚ます。演じる役が変われば主従関係は逆転する。

    アンワーは小さく打ち明けていた。「悪い夢を見るんだ。」意識下に潜んでいた不穏な黒いシミは撮影が進むにつれ徐々に彼の心を蝕んでいく。カメラは彼の目線ひとつ逃がさず記録する。映画は彼を追い詰める。「共産主義者」を演じさせるのだ。彼そっくりの人形の首を切るとにせの血が溢れる。現実では仲間であるギャングに拷問され、目隠しをされ、首にワイヤーをかけられる。カットの声がかかっても彼はもう二度と以前の彼には戻れない。「こわかった。拷問された犠牲者の気持ちがわかったよ」「いいえ、その人たちはあなたよりもっともっと怯えていたはずですよ。あなたはこれがただの映画だと知っていますよね。あなたが殺した人たちは自分が殺されると知っていたんですよ」監督は彼が泣き出すのを待っているかのようだ。そして改めて彼を虐殺の現場に連れて行き、犯した罪を詳細に再現するよう求める。激しい眩暈に嗚咽し、立ち上がることもできない彼をカメラは追い続ける。なんと悪趣味なサディズムだろう!「人がなぜナチの映画を観るかわかるか?サディズムさ。ナチの映画よりサディスティックなものを作ろう、作れるさ。だってこれはフィクションじゃないんだ。俺は本当に人を殺したんだ」冒頭でこう語ったのはアンワー自身である。善悪や主従といった一見磐石に見える基準はいとも簡単に転覆するものなのだ。

    2014/01/18

    Cinema Review: her

    祝アカデミー賞ノミネート。『ゼロ・グラビティ』を観終わって猛烈に映画が観たくなったので(笑)ハシゴ。『マルコヴィッチの穴』『かいじゅうたちのいるところ』そしてジャッカスシリーズやビョークのPVなんかも撮っているスパイク・ジョーンズの新作です。いつのまにかリンコ・キクチとは別れていたようだ。

    【ネタバレなし】

    her(2013) 『her/世界でひとつの彼女』2014年6月28日 日本公開予定 imdb 予告編


    コンピューターにはめっぽう弱く、自分のiPhoneにもSiriが住んでいるということを先週初めて発見した。Siriというのは米Siri社によって開発されiPhone4以降に搭載されているソフトウェアで、スピーカーに向かって話しかけるとこちらの声を認識し女性の声で答えてくれる、いわばバーチャルな秘書のようなものだ。たとえば「ママに電話」と言えば電話帳からママを探し出して電話を繋いでくれ、「20時になったら教えて」と言えばアラームを設定してくれる。「今日のお天気は?」「このあたりに中華料理屋ない?」と聞けば現在地を特定して一瞬で検索結果を表示してくれる。<彼女>は何でも知っている。<彼女>の精度は驚くほど高く、ふざけた質問にもウィットに富んだ返答をくれる。インターネット上ではSiriにしてみた質問大喜利が盛り上がっているようだ。

    「人生の意味ってなんですか?」
    「そういう問いについて考えを巡らせることです」

    「何かジョークをひとつ」
    「ふたつのiPhoneがバーに入って行きましたとさ。
    …えーと、それでなんだっけ?続きは忘れました」


    「アイラブユー」
    「どうせ他のアップル製品にも言ってるくせに」

    ちなみにわたしが彼女に初めてした質問。
    「あなた、だれ?」
    「わたしはSiriです。もう知ってるでしょう?」

    『her』は明らかにSiriに着想を得たラブストーリー。ヒロインを演じるスカーレット・ヨハンソンは一度もスクリーンに姿を現さない。一昔前の未来、時は2014年。こうしてSiriをからかった後には十分説得力がある。「物質的に満たされても心は孤独で、だから人工知能に本気で恋してしまう暗いオタク」なんて安易な主人公像は過去の遺物だ。

    主人公のテオドールは幼馴染でもある妻と離婚の手続きを進めている。手紙の執筆代行会社(こんなのあるんだね)に勤め大都会の瀟洒なタワーマンションに暮らすが、それも彼女が去った今は持て余し気味だ。


    ガジェット大好きな彼はある日街頭ヴィジョンのCMで知った<世界初の人工知能搭載OS>をインストールする。
    「はじめまして、テオドール」少しかすれた女性の声が優しく語りかける。これまでのコンピューターとは違う、自然な口調。「はじめまして…わあ、本当に人間みたい。君って名前なんかあるの?」「わたしはサマンサです。たった今、名づけ辞典から検索した数万件の名前から自分で選びました」「新着メールが3件あります。一件目…これは広告ですね、削除します」
    テオドールは毎日毎日彼女に話しかける。彼女はそのたびに学習し、精度を上げていく。彼女はどこへも行かず、24時間休まず彼の命令をじっと待っている。彼女はテオドールの全てを知っている。スケジュールも、喜びも、悲しみも。彼は彼女に誰にも言えない孤独を打ち明けた。二人が恋に落ちるまでにそう時間はかからなかった。

    彼女はプログラムされた宿命を超え、愛を知った。彼女は欲求を持った。テオドールが見ている世界をもっと知りたい!彼は小型端末を胸ポケットに入れて彼女を連れ出した。高度にテクノロジー化された近未来の生活と、海や山といった自然の風景の対比。地面を濡らす雨粒や空気中に舞う埃。冬の朝、やかんを火にかける。ガスのにおい。この映画で画期的なのは、これまで無条件に無機質なもの決め付けられてきたテクノロジーに有機的なものを違和感なく融合させ、それを強調したところだ。これが真に近未来的な近未来。いくら技術が発達したって生活はそう大きくは変わらない。コンピューターを作るのも使うのも結局は人間。21世紀でも、きっと23世紀になっても、人間は血の通ったコミュニケーションを求め続けるだろう。たとえばテオドールが仕事で代行執筆する手紙は手書き風フォントで便箋に印刷され、封筒に入れオフィス入り口にあるポストに投函される。OSシステムにEメールを朗読させる一方で、だ。

    人と人とが分かり合う難しさは今後少しもアップデートされないだろう。すでに合意に至った離婚に思いをめぐらせるテオドール。やはり別離の危機を迎えた親友カップル。彼らの紹介でテオドールとデートする若く美しい女。コンピューターではなく一人の女性になってしまったサマンサとの恋。彼女が二人の物語に介入させようとする第三の登場人物。出会い、寄り添い、しかし結局はすれ違ってしまう人々の関係を繊細に編まれた会話が浮き彫りにする。テオドールはプロの手紙ライターだけあって人の機微を感じ取るのは大得意。とはいえ、自分の事となるとすっかり盲目になってしまうのだが。誰かを愛することの愚かさは普遍的な真理だ。

    彼はいつも耳に装着したワイヤレスイヤホンでサマンサと会話しながら行動しているので一見独り言を言っているようにも見えるが、誰も不審に思ったりはしない。それは今やおなじみの光景だ。誰もがそれぞれの電子機器を注視し足早に過ぎ去って行く。だけどテオドールが派手に転んだ時には周囲の人間が一斉に手を差し伸べ、声をかける。人の目線で、鳥の目線で、ロサンジェルスと上海で撮影されたという大都市の風景が繰り返し映し出される。それは現代を巣食う孤独の象徴ではなく、むしろ繋がりの象徴のように見える。いまはバラバラでも何かの拍子で簡単に関わる人と人。無数の灯りは人間の存在を示すサインだ。君はどこにいるだろう。まだ見ぬ友もいるだろう。しかし、テオドールの愛する<彼女>はこの街のどこにも存在しない。