2014/01/18

Cinema Review: her

祝アカデミー賞ノミネート。『ゼロ・グラビティ』を観終わって猛烈に映画が観たくなったので(笑)ハシゴ。『マルコヴィッチの穴』『かいじゅうたちのいるところ』そしてジャッカスシリーズやビョークのPVなんかも撮っているスパイク・ジョーンズの新作です。いつのまにかリンコ・キクチとは別れていたようだ。

【ネタバレなし】

her(2013) 『her/世界でひとつの彼女』2014年6月28日 日本公開予定 imdb 予告編


コンピューターにはめっぽう弱く、自分のiPhoneにもSiriが住んでいるということを先週初めて発見した。Siriというのは米Siri社によって開発されiPhone4以降に搭載されているソフトウェアで、スピーカーに向かって話しかけるとこちらの声を認識し女性の声で答えてくれる、いわばバーチャルな秘書のようなものだ。たとえば「ママに電話」と言えば電話帳からママを探し出して電話を繋いでくれ、「20時になったら教えて」と言えばアラームを設定してくれる。「今日のお天気は?」「このあたりに中華料理屋ない?」と聞けば現在地を特定して一瞬で検索結果を表示してくれる。<彼女>は何でも知っている。<彼女>の精度は驚くほど高く、ふざけた質問にもウィットに富んだ返答をくれる。インターネット上ではSiriにしてみた質問大喜利が盛り上がっているようだ。

「人生の意味ってなんですか?」
「そういう問いについて考えを巡らせることです」

「何かジョークをひとつ」
「ふたつのiPhoneがバーに入って行きましたとさ。
…えーと、それでなんだっけ?続きは忘れました」


「アイラブユー」
「どうせ他のアップル製品にも言ってるくせに」

ちなみにわたしが彼女に初めてした質問。
「あなた、だれ?」
「わたしはSiriです。もう知ってるでしょう?」

『her』は明らかにSiriに着想を得たラブストーリー。ヒロインを演じるスカーレット・ヨハンソンは一度もスクリーンに姿を現さない。一昔前の未来、時は2014年。こうしてSiriをからかった後には十分説得力がある。「物質的に満たされても心は孤独で、だから人工知能に本気で恋してしまう暗いオタク」なんて安易な主人公像は過去の遺物だ。

主人公のテオドールは幼馴染でもある妻と離婚の手続きを進めている。手紙の執筆代行会社(こんなのあるんだね)に勤め大都会の瀟洒なタワーマンションに暮らすが、それも彼女が去った今は持て余し気味だ。


ガジェット大好きな彼はある日街頭ヴィジョンのCMで知った<世界初の人工知能搭載OS>をインストールする。
「はじめまして、テオドール」少しかすれた女性の声が優しく語りかける。これまでのコンピューターとは違う、自然な口調。「はじめまして…わあ、本当に人間みたい。君って名前なんかあるの?」「わたしはサマンサです。たった今、名づけ辞典から検索した数万件の名前から自分で選びました」「新着メールが3件あります。一件目…これは広告ですね、削除します」
テオドールは毎日毎日彼女に話しかける。彼女はそのたびに学習し、精度を上げていく。彼女はどこへも行かず、24時間休まず彼の命令をじっと待っている。彼女はテオドールの全てを知っている。スケジュールも、喜びも、悲しみも。彼は彼女に誰にも言えない孤独を打ち明けた。二人が恋に落ちるまでにそう時間はかからなかった。

彼女はプログラムされた宿命を超え、愛を知った。彼女は欲求を持った。テオドールが見ている世界をもっと知りたい!彼は小型端末を胸ポケットに入れて彼女を連れ出した。高度にテクノロジー化された近未来の生活と、海や山といった自然の風景の対比。地面を濡らす雨粒や空気中に舞う埃。冬の朝、やかんを火にかける。ガスのにおい。この映画で画期的なのは、これまで無条件に無機質なもの決め付けられてきたテクノロジーに有機的なものを違和感なく融合させ、それを強調したところだ。これが真に近未来的な近未来。いくら技術が発達したって生活はそう大きくは変わらない。コンピューターを作るのも使うのも結局は人間。21世紀でも、きっと23世紀になっても、人間は血の通ったコミュニケーションを求め続けるだろう。たとえばテオドールが仕事で代行執筆する手紙は手書き風フォントで便箋に印刷され、封筒に入れオフィス入り口にあるポストに投函される。OSシステムにEメールを朗読させる一方で、だ。

人と人とが分かり合う難しさは今後少しもアップデートされないだろう。すでに合意に至った離婚に思いをめぐらせるテオドール。やはり別離の危機を迎えた親友カップル。彼らの紹介でテオドールとデートする若く美しい女。コンピューターではなく一人の女性になってしまったサマンサとの恋。彼女が二人の物語に介入させようとする第三の登場人物。出会い、寄り添い、しかし結局はすれ違ってしまう人々の関係を繊細に編まれた会話が浮き彫りにする。テオドールはプロの手紙ライターだけあって人の機微を感じ取るのは大得意。とはいえ、自分の事となるとすっかり盲目になってしまうのだが。誰かを愛することの愚かさは普遍的な真理だ。

彼はいつも耳に装着したワイヤレスイヤホンでサマンサと会話しながら行動しているので一見独り言を言っているようにも見えるが、誰も不審に思ったりはしない。それは今やおなじみの光景だ。誰もがそれぞれの電子機器を注視し足早に過ぎ去って行く。だけどテオドールが派手に転んだ時には周囲の人間が一斉に手を差し伸べ、声をかける。人の目線で、鳥の目線で、ロサンジェルスと上海で撮影されたという大都市の風景が繰り返し映し出される。それは現代を巣食う孤独の象徴ではなく、むしろ繋がりの象徴のように見える。いまはバラバラでも何かの拍子で簡単に関わる人と人。無数の灯りは人間の存在を示すサインだ。君はどこにいるだろう。まだ見ぬ友もいるだろう。しかし、テオドールの愛する<彼女>はこの街のどこにも存在しない。



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