2014/05/08

【近況】Good Girl Gone Back to Bad


自分含む大方の予想通り、セビ君(前回前々回の投稿参照)とは一ヵ月を待たず破局しました。言い争いばかりの苦しい恋であった…。もともと英語を喋っている時は気が強いとはいえ、彼と話していると自分でも引くくらいキツい言葉がどんどん出てくるのよね。彼は根気強く理解してくれようとしていたけど、最後はさすがに「君は感情的に不安定すぎる」と疲れた様子でした。たしかに彼の前では無理にドラマティックに振舞ってしまう傾向があり、「そんなことないよ」と言ってくれるのをわかっていて「ね?わたしって悪い子でしょ?これで嫌いになった?」としつこく聞くような非常に面倒くさい自分が自分でもすごくいやだった。言っておきますがわたしはちっとも不安定なんかじゃないし、面倒くさくもないクールな女の子です。彼がわたしが近年こじらせている奇妙な「悪い子になりたい」願望を最大限に誘発する存在だったのです。

よく「価値観の違い」で別れるカップルがいるけど、これもまたやっかいで、ケチすぎる彼とお姫様なわたしは常にお金のことでケンカしていました。彼はうちの弟よりも若く、夏学期から学生になる現フリーターで、ママと一緒に住んでいて、お金が全然ないのです。わたしだって母子家庭出身で生まれも育ちも、そして今も超がつく貧乏だけど(謙遜とかじゃなくガチのやつ)、せめて心まで貧乏にならないように必死で見栄張って生きているのです。同世代の女の子がボーナスで手に入れる宝飾時計には手が届かなくても、靴下やスウェットに穴があいたら借金してでも新しいのを買うっていうか…そういう小さなプライドが大事だとわたしは思う。これまで友達も恋人もどういうわけか比較的気前のよい人が多かったので彼の金銭感覚には衝撃を受けた。とくに最近は、正直に告白すると年上でお金持ちの男性と交際する機会が多かったので、いつのまにかプリンセスでいることに慣れてしまい、それはわたしも悪かったなとは思ってます。だけどもちろんファンシーなディナーや高級ホテルや車のお迎えを若い彼に求めていたわけじゃなくて、単純に近所の中華で食事をしたり、月に一度くらいはクラブでハメを外したり、帰りにタクシー(日本より全然安い)に乗ったり、映画館(日本より全然安い)に行ったり、そういう普通のデートができないとなると恋人関係を維持するのは難しいのです。恋人とは一緒に楽しいこといっぱいしたいし、親友でいたいし。割り勘にするのは全然かまわないけど、毎回彼の分まで支払うほどの余裕は残念ながらないのです。だからデートのプランはお互いの家でダラダラして、わたしが買ったワインを飲んでという一択。彼の家がこれまた死ぬほど遠くて、一回行ったら帰るのがダルくなり、久しぶりに帰るとルームメイトや友人たちに「ちい、昨日どうして帰って来なかったの?超楽しいパーティだったのに」と知らされたりしてどんどんストレスが溜まっていきました。週に4日は彼と一緒にいるので趣味の映画や書き物をする時間も激減し、このままだと自分が自分でいられなくなると思った。

とはいえ常にわたしのことを気にかけてくれる人がいるというのは何にも代えがたい幸せで、しかもその人っていうのがカルバン・クラインの広告に載ってもなんら遜色のないようなイケメンで、今は彼なしでどう振舞っていいかわからず途方に暮れてます。わたしを好きな人はもう、いないんだ。本当にこれでよかったのかな…。10分に一度は「ごめん、やり直したい」とメールしそうになるけど、その度にぐっとこらえて。もう少し泣いたら映画館にでも行こう。グスン。

ああ、書いたらすこしスッキリした。今後はまた映画レビューに力を入れていきたいと思います。読んでね。

2014/05/02

Science World 25th Anniversary Celebration Party

バンクーバーのランドマーク、でっかな球体の建物でおなじみのサイエンスワールドが今年で開館25周年を迎えました。セビ君(ひとつ前の記事参照)が昔バイトしていたので現スタッフやOB、OG(英語ではAlumniと言います)を対象としたパーティに招待された。わーい!

1455 Quebec Street
Vancouver, BC  V6A 3Z7
604-443-7440

2日前に大喧嘩したんだけどこのパーティに行きたすぎて急いで仲直りしたの笑。

なぜオタクはバンダナが好きなのか






2年間住んでるけど来たの初めて。ずーっと勉強と仕事が忙しくて全く観光できてないんですわ。閉館後なのでだーれもいなくて、全力でハシャいだ。たのしーい!


ハシャいでお腹がすいた頃に軽食が用意されてました。お酒はなかった…ショック…。彼は2年前世界旅行のために退職したんだけど、当時の同僚やボスに再会してうれしそうだった。辞めてからもこうしてパーティがあったり、ボランティアに顔を出したり、ずっと関わっていける職場って素敵ですな。


メインステージではAlumni有志によるおもしろ科学ショー。「わたしが働いてたの8年前なのにまだ同じの使ってるの?!こんなボロい小道具よく取っておくよねー」みたいな軽快なトークとグダグダな進行に爆笑。完全な身内向けだからこそできるユルいノリが楽しい。通常営業時はもっとちゃんとやってるそうです。




とてもじゃないけど数時間で遊び尽くせる広さじゃない。わたしたちがいたのは球体の台座部分で、球体本体部分はシアターになっているそう。なにそれめっちゃ楽しそう。海が一望できるロケーションも気持ちがよく、絶対またすぐ行きたい。

※サイエンスワールドはスカイトレインのMain st-Science World駅目の前にあるのですが、駅の工事に伴いちょっとアクセスしずらくなっています。工事が完了する2014年秋頃まで、10~12分おきに運行されるScience World行きの電車以外は停車しないので注意。


出口には施設を25年間支えてきたスタッフのアルバムが展示されていました。全然知らない人の写真なのになんだか懐かしい。プリントした写真やベリベリ透明のフィルムをはがすアルバムってやっぱりいいものだね。

帰りにCommercial Driveの酒屋でワインを買って彼の家で『あの頃ペニーレインと』を観た。彼がちっともこの作品の情緒をわかってくれないのでがっかり。やっぱり映画の話をするのはネットの友達に限るな。

I'm always home, I'm uncool. The only true currency in this bankrupt world is what you share with someone else when you're uncool.

2014/04/27

【近況】Bad Girl Gone Good

春。シェアハウスに新しい仲間が増えた。旅人ルシアンが次の目的地に旅立ち、代わりに越してきたアレクサスは紫の髪でタトゥーだらけ。だけどこの春から看護学校に通う学生。こっちではお医者さんや看護士さんでもファンキーな外見の人がけっこう多い。それから大家ニコの親友のトキオとガールフレンドのハナヨ、最近よくうちで見かけるなーと思ったらいつのまにか正式にうちに住むことになっていたらしい笑。二人は日本語が話せる。日本語でしか言えないことと、英語でしか言えないことがあるので、両方ミックスして話せるとかなり快適。ずっと避けていたのでこっちで日系の人と友達になるのは初めてだ。彼らが飼っているセキセイインコのLadyとGaga(笑)、ニコが溺愛するフェレットのリマ、それから友達のジェンから我が家で預かっているワンコのジャスパーを庭で遊ばせて動物園状態。8人と4匹、毎日がお祭り騒ぎだ。



よく見るとバンクーバーにもけっこう桜がある。ていうかうちの庭にもある。公園のように広いこの庭に一目惚れしてから2年が経った。


一目惚れといえば、お互い一目惚れでいきなり恋人ができた。彼もだいたいいつもうちにいるので本当ににぎやか。


なんと彼、以前わたしの部屋に住んでいた元住人なのだ。(「どこに住んでるの?え?そこぼく昔住んでたよ!え、ニコの隣の部屋?!同じ部屋だ!」)当然わたしの兄のニコやちゃんぴーとは友達で、彼らとクラブで遊んでいたら偶然彼もそこに来ていて紹介された。わたしの部屋=元自分の部屋に泊まって目覚めると毎回一瞬混乱するらしい。もっと不思議なのは、おととしくらいにニコが突然「至急ちいの部屋のベッドが必要になった。代わりは今日中に手配する」と言ってベッドを取り上げた事件のこと。ベッド交換ってなんやねんと思いながら当時特に理由は聞かなかったのだが、実はわたしが寝ていたベッドは彼のもので、引越しの時に必要なくなったからうちに置いていったものらしい。それで再度引越しの際にまた必要になったので取り返したのだそう。彼は今もそのベッドを使っていて、わたしは週に二回ほどはその元自分の部屋にあったベッドで寝ている。世にも奇妙な物語。
ちなみに兄たちは例によって例の如く、わたしを取られて完全におもしろくない様子だ笑。

彼を好きになった理由のひとつが左腕の美しいタトゥーである(めちゃくちゃ自慢したいんだけど諸事情により写真の掲載は見送ることにした)。デザインはアーティストさんと一緒に考えた完全なオリジナルで、彼が好きなビデオゲームにちなんだモチーフを組み合わせたものだ。元ネタはメトロイドしかわからない…。タトゥーってこんなに繊細な線も表現できるんだなー。全体は白黒だが一箇所だけごく薄い青が入っていて、自前の浮き出た血管にグラデーションで繋がるようになっている。わたしもずっとタトゥーが欲しかったけど、これより素敵なものになる気がしなくてなんだか気持ちが萎えてしまった。

あ、彼セビ君っていうの。もともと日本のアニメで馴染みがあったせいもあり、すごい勢いで日本語を習得している。自ら「セバスチャンチャン…セバスチャンクン…セビクン!」とニックネームを考案したのでびっくりした。わたしのことはちゃんと日本語でチヒロチャンと呼んでくれる。ビデオゲームに日本アニメ、そう彼はオタクなのだ。メガネにバンダナにアニメのTシャツにリュックという一昔前のテンプレート的秋葉コーディネートなのに明らかなイケメンオーラがビンビン出ていて、た…たまらん…。メガネ外して亜麻色の長髪が顔にかかり、上裸で赤ワイン片手にモナムール(※フランス語ペラペラ)とか囁きつつ抱き寄せられたらマンガのように赤くなっちゃう。こんなかわいい人がわたしのこと好きなんてありえねー。神様サンキュー!

ちゃんとした交際をするのはわたしの恋愛の時間軸で言ったらものすごく久しぶりだ。手をつないで歩いたり、FBにお互いの写真を投稿したり、お互いの友達を紹介したり、彼の家族とご飯を食べたり、健康で健全で秘密じゃない関係。束の間の安らぎ。刺激だけを求めてやみくもに走ってきて、ふと立ち止まったら傷だらけだったことに気づく。幼い頃に経験できなかった反抗期をはしかのようにこじらせて、悪い子ぶっていたら本当に悪い子になってしまった。だけど根は真面目なままだからバックラッシュの嫌悪感がすごくて、自罰的になって、心が潰れかけた矢先の突然の出会いだった。今は彼の愛情をいっぱい受けてリハビリ中。「君の魂はそんなに簡単に汚れたりはしない」と彼は言う。


健康オタクの彼の影響で身体も健康になってきた。最近はキヌアという南米の穀物に凝ってこればかり食べている。米や麺より軽くサラサラと食べられて、プチプチ食感が楽しい。信じられないくらい栄養があるらしい。相変わらず毎日自炊はしているのだが栄養について考えたことはほとんどなかった。「栄養のあるもの食べれば徹夜で遊んでも疲れないよ」と一生懸命工夫してわたしを説得しようとするきみ。いつだって自分より周りのほうがわたしのことを心配している。


誰かの顔色を伺って自分を殺すのをやめ、はっきり言いたいことを言うようになったのは英語を喋るようになってからだと思う。そのせいで心配をかけたことも傷つけたことも傷ついたこともあったけど、結果的には自分で選択して自分が満足できる環境を手に入れたことを誇りに思う。だからそれってちっとも悪いことじゃないのに、やっぱり悪いことみたいに思えて、悪いことは気持ちがいいからもっと悪くなりたくなる。悪い子ぶりっこ卒業しなくちゃ…(こんな事を26にもなって言ってるのが本当に痛いのはわたしが一番よくわかっているつもりだ)。

ビザ切れ訪日から無事カナダに戻ってそろそろ一年が経つ。わたしにとってはカナダが「帰る」場所で、日本は「行く」場所だ。自分で決めた自分の居場所。ずいぶん無茶もしたけれど帰って来られて本当によかった。今持っている就労ビザが二年間の期限つきなのでまたまたこれをどう延長するか気を揉む日々が待っている。彼や誰か他のカナダ人と結婚→永住権取得というのはまずありえないだろう。こんなに大切なイシューを恋愛や結婚といったギャンブルに任せるわけにはいかないのだ。

いいことも悪い事もそう長くは続かない。泡のように消えてしまう今を抱きしめる。

2014/03/12

Cinema Review: Oldboy (2013)

「なぜ監禁されたのかと尋ねるな、
なぜ解放されたのかを問え」

Oldboy (2013) 2014年6月日本公開予定 imdb 予告編

韓国映画『オールド・ボーイ』のリメイク。リメイクの話はかなり前に出ていて(2008年頃)、当初スピルバーグが興味を示しているという話だったはずなんだけど結局スパイク・リーになったのね。オリジナル版はわたしのオールタイムベストのひとつなので当然ハードルは激アゲです。初めて観た後、すごすぎてしばらく動けなかった記憶…。まだ観てない人がうらやましい、超ネタバレ厳禁映画。なるべく予備知識なしで、絶対にオリジナル版を観て欲しいです。というわけでなるべくストーリーの本筋に触れないように書いていきますが、読まないほうがいいかも。まずは観て!

ある雨の日、男は忽然と消えた。彼は拷問もされず、殺されもせず、ただ毎日食事(リメイク版ではウォッカも)を与えられ小さな部屋に監禁される。部屋にはテレビにベッド、ノートとペン、シャワー室。窓はない。それが15年間(リメイクでは20年)続くと知っていたら少しはラクになっただろうか?気が狂っただろうか?妻が惨殺されたこと、娘は無事なこと、自分が妻殺しの容疑者になっていることを報じるテレビニュース。自分だけを置き去りにして世界は回る。いったい誰が何のためにこんなことを?なぜ突然解放されたのか?愛する娘はどこだ?

というストーリーは思った以上に忠実にリメイクされていたけど、オリジナルで「若干気になる、けどそんなの全然どうでもよくなるくらいよかった」という部分がちゃんとつじつま合うように修正されていて、そこはもう改善と言ってもいいと思う(このアイデアをパク・チャヌクが思いついていれば!)しかしそれと同時に映画ってつじつまが合う合わないとかそういう問題じゃないんだよなあ…と再確認させられた。これじゃただのよくできたサスペンスだ。Apple製品大活躍+男女コンビで謎解き、ということでちょっと『ドラゴン・タトゥーの女』っぽい。

オリジナルを撮ったパク・チャヌクはメタファーを多様した幻想的な世界観を魅せる作風で知られていて、多少のストーリーのアラも寓話のように美しくまとめてしまうのがうまいしズルくもある。具体的にネタバレしない範囲で言うと、オリジナル版では二人が共通して経験するアリの幻覚で気のおかしくなりそうな孤独とその共有を表現しているのに対し、リメイク版ではヒロインの元彼が「あの娘は傷ついてるんだ!これ以上傷つけるな!」と言ったり、本人がぐじぐじイジけて「あたし昔はアル中で薬中だったの」と言ったり、というかただ言うだけで、あまりに雑すぎると思った。ある種のトリックで出会う主人公とヒロインだけど、リメイク版ではその非科学的な設定を完全にとっぱらってしまったためにかえって現実感が無くなってしまっている。悲しい過去のために人助けの仕事をしていて傷を負ったダメ男を放っておけないヒロイン、というのは二人を結びつける理由としては不十分。中途半端にリアリティを追求したせいでダメになっている部分が多かった。まあ、そもそもファンタジーっすからね…。

こんな傘差してる女いたらあやしすぎる
(これ幻覚じゃないんだよ、へんなの)



バイオレンス描写はグロ含め一応継承されていた。でもこのカナヅチのカットとか伝説の横スクロール戦闘シーンとか…そっくりマネしても意味がないと思うぞ。

サミュエル兄さん

悪いやつは黒人!これは黒人映画をいっぱい撮ってきた黒人のスパイク・リーだからこそイヤミなくできた芸風。獄中で身体を鍛えた主人公がシャバに出て真っ先に白人のジョックス共をボコボコにするのには笑った。その直後にヒロインと出会い、少し後に狭い部屋で二人きりになるシーンがあるのだが、20年ぶりに生身の女に触れた男のリアクションとしては不自然だろう。オリジナル版の主人公は初めて目にした他人(男)の温もりに感激しほとんどキスする勢いで、初めて目にした女(オバチャン)を襲う。ギラギラみなぎる人の欲望、生や性への執着は韓国映画の得意科目だ。生ダコを喰らう名シーンはもちろんなくなっていた。その代わりに水槽の中のタコを眺める、という形で一応オマージュを示してはいる。オリジナル版でキーアイテムになっていた羽もさりげなく出てきたし、監督は単純に「この映画超おもしれー!でもラストこうだったらもっとよかったのに!」という、いちファンなんじゃないかという気がしてきた。だったらどうして、ズンと心に響く物語の主題を薄めてしまったんだろうか。独特のブラックユーモアから生まれるリズム感も完全に無視されていたし。



当たり前だけど映画って文化に大きく依存しているから、無理矢理違う文化の文脈に変換しようとするといちいちボロが出てしまう。韓国語のアジョシ(おじさん)というのは英語に翻訳できない言葉で、だから翻訳できない距離感で、これをジョー(=オ・デス)と呼び捨てにしてしまうと味気ない感じだ。あの「サランヘヨ、アジョシ」がないなんて…だめだよやっぱ。ずばり『アジョシ』もハリウッドリメイク予定とか聞いたけどどうするんだろう、アジョシ問題。パク・チャヌクのいわゆる復讐三部作の残りふたつ『復讐者に憐れみを』『親切なクムジャさん』も、韓国映画は韓国映画だからいいのであって、いくらお金をかけて焼きなおしてもオリジナルを超えられる予感が全くしない。ていうか比較的なんとかなりそうな『渇き』はあえてスルーなのん?

imdb, YouTube, Googleなどでoldboyで検索するともうリメイク版が先に出てくる。韓国映画スゲエというのは映画ファンの中では常識だが、世界の大半の人にとっては馴染みの薄いジャンルで、オリジナルを観る機会を得ない人やむしろリメイクだって知らないで観る人もいるのかと思うとなんだかモヤモヤ。ちなみにこの『オールド・ボーイ』っていかにも韓国的なテーマだと思ったんだけど、原案は日本のコミックなんだってね。日本映画もうちょっとがんばれや。

2014/03/03

追悼 ハロルド・ライミス


ハロルド・ライミスが亡くなった。『恋はデジャ・ブ』『アニマルハウス』『無ケーカクの命中男』そして『ゴーストバスターズ』など、彼の映画にはさんざん勇気をもらってきたし、これからも希望を無くした時はいつでも彼に助けを求めるだろう。

先日バンクーバーでは珍しい雪が降ったのと、2月だからということで『恋はデジャ・ブ』を見返したばかりだった。雪深い田舎町と時間の無限ループに閉じ込められた傲慢な男が、同じ2月2日を延々と繰り返し生きるというお話。今日も昨日と全く同じ事が起こるとしたら?性格の悪い彼でなくたってまずは悪さをはたらくのが人間の性というものだろう。しかし女にちょっかいを出したって、強盗でお金を手に入れたってそれは今日限りで価値を失い、明日にはまたリセットされて同じ一日が待っている。絶望した彼はあらゆる手段で自殺を試みるが、やっぱり目が覚めると2月2日に戻ってしまう。やがて彼は一番身近にいる同僚リタに惹かれていく。歪んだ時間の法則を利用し彼女の好みを徹底的に調べ上げアピールするが、付け焼刃で手に入れられるほど恋は甘くない。だけど明日はもっとうまくやれるはずだ。物質的な富は毎日リセットされても彼の経験だけは引き継がれ蓄積するのだから。彼女を喜ばせようと試行錯誤するうちに彼の心の中に善が芽生えていく。今日起こる災難から人々を救いたい。今日死ぬ老いた男の最後の一日がいい日であって欲しい。奪っても与えてもどうせ明日が来ないならば与えてみたほうが気分がいいのだ。どんな明日が待っていても、明日が無かったとしても今日を善く生きよう、明日忘れられたとしても目の前にいる人を今幸せにしよう。そう決意した時ついに魔法が解ける。こんな道徳的なテーマを一切の説教くささなしに描ききった名作だ。



日本では町山智弘さんが「ニーチェの永劫回帰を一本の映画が簡単に説明してしまった」と紹介したことで再評価された作品。ニーチェは「神は死んだ」という言葉で有名な通り神の存在を否定し、神に死後の救済を求める代わりに自ら今を正しく生きよと説いた。

ライミスはニーチェの影響を認めながらも、自身の宗教観をBuddhism(仏教)ならぬBuddh-ish(仏教、みたいな)と表現していて、「コメディ界のブッダ」とも呼ばれた。諸行無常、諸法無我。彼のお気に入りのクオートのひとつに「Ride the horse in the direction it's going(乗った馬が目指す方角に従え)」というのがある。心配ばかりしないで流れに身を任せしなやかに生きよという意味だ。「人は理解したり理解したフリをすることで物事をコントロールしようとするけど、この先何が起こるかなんていくら考えても誰にもわからない。わからないことは正直に『アイドンノー』と認めて、周りの声に耳を傾けたほうがいい。」

無ケーカクの命中男』は脚本も監督もジャド・アパトウだが、この台詞はいかにもライミスらしい。

"Life doesn't care about your vision. Stuff happens, you just got to deal with it. You roll with it, that's the beauty of it all. "
人生はお前の将来のヴィジョンなんて気にしちゃいないのさ。ただ運命に身を任せて、起きた出来事をどうにか始末していくしかない。それだけがお前にできる事だ。

わたしが本当に参っていたときに救われた言葉で、以前にもブログに引用している。『無ケーカクの命中男』はノーテンキなタイトルに反し、人生のさまざまなステージにいる男女の成長を真摯に見つめたコメディだ。主人公のベンはクラブで知り合った美女アリスンと酔った勢いでセックスしてしまい、さらに妊娠させてしまう。彼は子供のまま身体だけ大きくなってしまったような人でニート、一方彼女は昇進したばかりのキャリアウーマン。双方にとって最悪のタイミングだ。「こんなの俺の人生プランと違う!一応将来のヴィジョンとかあるのに!」と焦る彼に父親役のライミスは優しく、しかし迷いなく語りかける。ジャド・アパトウはこのたびの訃報に「主人公の父親役をオファーしたのは、彼がぼくらの理想の父親だったから―面白くて、温かくて、そして賢い。彼はぼくが今まで出会った中でもっとも優しい人間の一人だ。多くの若手が彼にインスパイアされてコメディ界を志した。彼の作品はこれからもずっと人々をハッピーにするだろう」とコメント。他にも旧友ビル・マーレイ、チェビー・チェイス、ダン・エイクロイドはもちろん、スティーブ・カレル、カット・デニングス、ジャスティン・ティンバーレイク、ラシダ・ジョーンズ、セス・マクファーレンなど多くのセレブリティが追悼メッセージを発表した。先ごろ行われた第86回アカデミー賞授賞式でプレゼンターを務めたビル・マーレイがノミニーを読み上げた後、「そしてもう一人、ハロルド・ライミス」とアドリブしたシーンは感動的だった。二人は『恋はデジャ・ブ』以降絶縁状態だったという。

ハロルド・ライミスはシカゴ出身。プレイボーイ誌のエディターを経て地元のお笑いアカデミーThe Second Cityに参加。ジョン・ベルーシらとニューヨークに移りビル・マーレイやジョー・フォレアティ(『フリークス学園』のパパ!)と共にオフブロードウェイショーThe National Lampoon Showに出演。そこから創成期のSNLに行った仲間たちといったん別れ、カナダのコメディーショーSCTVのヘッドライター兼パフォーマーとしてテレビのキャリアを開始。National Lampoonのプロデューサー、アイヴァン・ライトマンのオファーで『アニマルハウス』の脚本を書き、かねてから志していた映画業界デビュー。同作は史上もっともヒットしたコメディ映画として今もなお世界中で愛されている。


ソーシャルネットワーク』にも出てきたアメリカの大学の友愛会制度を題材に、負け組が勝ち組に一泡吹かせるというお話。成績は悪いわ、問題ばかり起こすわ、ブサイク揃いだわのデルタハウスだが、彼らには彼らなりの青春があるのだ。エリートイケメン集団オメガハウスとグルの学園理事会にハメられ、退学を命じられ、友情とモラトリアムの象徴であるハウスをつぶされ、さすがにヘコむボンクラどもをメンバー一の変人ジョン・ベルーシがけしかけるシーンは何度見ても心が熱くなる。Nothing is over until we decide it is!


ライミスはインタビューの中で「映画やテレビの影響って刷り込み(imprinting)みたいなものだ。たくさんの人の心にぼくの映画が刷り込まれ、記憶に残っていると思う。僕らが死んだ後もみんなが何かの拍子で映画を思い出して、何かしらポジティブな力を見出してくれたらいいな」と語っている。彼の映画も、彼自身も、いつだって前向きでハッピーだ。ユーモアに勝る武器などないと教えてくれた。ありがとう、ハロルド・ライミス。あなたはいつだって笑顔。

2014/02/25

Cinema Review: Hannah Arendt

The Act of Killingを観てからというものの<悪の凡庸さ>って何だっけ?とずっと考えている。多少資料を持っていたはずだが日本に置いてきた(もう捨てられたかも泣)。電子書籍なんか邪道じゃいと思っていたけどこういう時便利なのね。しかし現段階での日本語書籍のラインナップを見てやっぱり購入には至らない。ゴミが減ってよかったねとは思う。

アーレントの日本語訳がこちらで手に入るわけもなく、当然電子書籍にもなってなかったのでこれを機に英語で読んでみることにした(オリジナル版が英語だと知らなかった。ドイツ語かと思った)。<悪の凡庸さ>は『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』に詳しいと思うが、日本語で少し読んだことのある『全体主義の起源』の方が単純におもしろそうなのでこっちに。翻訳だと一冊5000円の三巻組で学生時代の自分には手が届かなかったけど、ペーパーバック版はぎゅっと一冊にまとまってお値段24ドルとコンパクト。タイトルはそのままThe Origins of Totalitarianism。第三章Totalitarianismから読み始めた。(今のところ)アーレントの議論はやや抽象的だが、そのぶん文章が美しくてかっこよくてウットリする。

携帯カメラで撮ったらなぜか反転してる

少し前(だいぶ前)に急に日本でドラッカーやサンデルが流行ったけど、アーレントやオルテガの<大衆>の概念なんてそれこそ中二病炸裂で超パンクなのにどうして流行らないんだろう(べつに流行って欲しいわけではないが)。アーレントが映画になったのでこれはブーム来るか?と思ったんだけどなー。


Hannah Arendt (2012) 『ハンナ・アーレント』 日本公開中 公式サイト imdb 予告編


ハンナ・アーレントはナチス時代のドイツに生まれたユダヤ人で、フランスへ逃れ、その後アメリカに亡命した思想家。最終的に市民権を獲得するまで18年間も無国籍状態にあったという。ドイツの大学ではハイデガーに師事し、禁断の愛人関係になるが、そのハイデガーはナチス党に入党…と、そもそも映画のようにドラマティックに生きた人だ。この映画は1963年、彼女がニューヨーカー誌に寄稿したアイヒマン裁判についてのリポートが論争を引き起こした事件に焦点を当てている。

アドルフ・アイヒマンはナチス親衛隊のメンバーで、ユダヤ人虐殺について重要な決定権を持った人物だ。戦後は戦犯として指名手配され、アルゼンチンで身柄を拘束される。アーレントは彼の裁判の取材を切望しイスラエルへと向かった。


法廷には原告の生還者と600万人の失われた魂。憎悪の集中砲火にさらされるアイヒマンは裁判中に暗殺されないよう防弾ガラスの小部屋の中にいる。彼の供述を聞いたアーレントは衝撃を受ける。アイヒマンは悪魔ではなく、ただ命令に従って仕事をこなす小役人だったのだ。彼が死の宣告を下した幾多の命は彼にとっては紙の上の数字でしかない。きっとサラリーマンよろしく上司から依頼を受け、指定された締め切りに間に合わせたりしたのだろう。20世紀は大衆の時代だ。合理化、システム化された巨大な官僚組織の中で自分の仕事をこなすだけの個人はそれがめぐりめぐって強大な悪に加担していることに気づかない。当然悪意もない。というよりは思考も想像もしていないのだ。最もおそろしい悪とは思考しない普通の人間が行う、悪意のない悪―彼女はこれを<悪の凡庸さ>と呼び、現代社会の病理を告発した。

この記事が発表されるやいなや彼女は激しい非難を浴びた。絶対的な悪であると信じられていたアイヒマンを「(あなたたちと同じ)普通の人」と表現したことは彼の擁護と解釈され、そして最も論争を呼んだのはユダヤ人組織がナチスに協力したという事実を暴いた部分だった。ヒステリックで流されやすいのもまた大衆の特徴である(要するに大衆はバカなのだ)。アーレントは「記事を読んでもいない人間が批判しているんだ」と毅然とした態度でいるが、教養ある親友らすら手のひらを返したように離れていき、講義を持っていた大学からも辞職を促される。Thinking is a lonely business―ハイデガーの言葉を思い出すアーレント。

ハイデガーとのエピソードは断片的にフラッシュバックするがなんだかぎこちなく映画に馴染んでいなかった。20世紀を代表する思想家アーレントの人間としてのチャーミングさを強調したかったのかもしれないが夫のブリュッヒャーとやたらイチャついているのはただ居心地が悪いだけ。「考えることの強さ、勇敢さ、痛み」に結論を持っていくならヌルいヒューマンドラマよりも思考することのスリルを見せるべき。アーレントという人が面白いのであって映画はちっとも面白くなかった。主演のバルバラ・スコヴァの演技がよかっただけに残念。

アーレント本人。才色兼備でチェーンスモーカー。

2014/02/16

Cinema Review: The Act of Killing

尊敬する柳下毅一郎さんが2013年のベストに選んでいたThe Act of KillingがこちらではもうDVDになったので鑑賞。日本では昨年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭(行きたかったなー!)で『殺人という行為』の邦題で上映されていて、今年4月に『アクト・オブ・キリング』として一般公開されるようです。

劇中のこの巨大な魚はインドネシアのトバ湖の近くにある元レストランだった建物で、
治安悪化による観光産業衰退の影響で今は廃墟なんだって

The Act of Killing(2012)『アクト・オブ・キリング』 2014年4月 日本公開予定 公式サイト imdb 予告編


1965年、インドネシアでクーデターが起こった。軍の独裁支配の下、組合メンバー、識者、中国人はまとめて「共産主義者」と呼ばれ処刑された。準軍事的集団やギャングによる組織的大量虐殺の被害者は100万人に及ぶという。映画は冒頭にこんな言葉を引用する。「殺人は禁じられている。ゆえに殺人を犯したものは罰を受ける。ただしトランペットの音色に合わせて大量の人間を殺した場合を除いて。―ヴォルテール」そう、インドネシアの殺人者たちは罰せられるどころか国のために戦った英雄として今なお称えられているのだ。彼らには罪の意識が全くないのだろうか?その手でたくさんの命を奪った当事者に当時の再現映像を作らせるという手法でもって、人を殺すとは何か、正義とは何か、さらに演じるとは何かをあぶりだす画期的なドキュメンタリー。タイトルのActは行為とも演技とも訳される。(日本公開タイトル、原題に戻して正解だね。)


「最初は殴り殺してたんだけど血を片付けるのが面倒だろ?ひどい匂いだし。だからこうしてワイヤーで首を絞めるほうがはかどるんだ」 1000人は殺したと豪語するアンワー爺さんは虐殺の現場を嬉々として紹介する。

あるものは言う。「戦犯の定義を決めるのは勝者だ。俺は勝者だから俺が正義を決める。」善悪の基準はうつろいやすいもので、ある文脈―一番簡単な例でいえば軍の中では殺人は正義だ。悪は善と同じように人間に備わった普遍的な性質だが、誰の心にも人を殺せる才能が眠っているとしたらなんとおそろしいことだろう。

映画に登場する数々の悪人の中で最も醜悪だと思ったのは反共産主義運動に加担した新聞社の男だ。ヘイトスピーチを行い、また社のオフィスで人々を尋問しては「有罪」としてギャングや軍に引き渡していた。「俺は人殺しなんかしねえよ。する必要がないだろう。俺はウィンクする、後の始末はあいつらがやるさ」彼の罪悪感を麻痺させているのは「自分はそのとき正しいと思った事、やるべき事をやっただけ」という「仕事」の意識だ。これがハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」だろう。直接手を汚していないから悪くない。命令だから殺した。人殺しが人道に背くことは誰でも知っている。罪の転嫁のバトン競争で世界は回り、一部の人間だけが運悪く罰を受ける。

「映画の後なんか、歌って踊って、そんなテンションのままハッピーに殺しをやったもんさ。」チンピラ業の一環として映画のチケットダフ屋もやっていたアンワーはなかなかのシネフィルで、マーロン・ブランドやアル・パチーノ、ジョン・ウェインをフィーチャーしたギャング映画に影響を受けたという(ワイヤーで絞殺する方法も映画にインスパイアされたらしい)。撮影にはノリノリだ。

あこがれのクレーン撮影

「ちょっと小道具を用意したよ。
やっぱギャングってのはこう、帽子を被ってるもんだろう」

被害者側も加害者側もおそらく生まれて初めてカメラの前で演技するであろう人々が、あれ…これはシャレにならないぞという空気を即席で作り出してしまうのには驚いた。筋書きのないストリートの寸劇に子供は泣き叫び、大人は発狂し、役からこちらの世界に帰って来られない人間は放心状態である。たとえ演技(act)であっても行為(act)は感情を呼び覚ます。演じる役が変われば主従関係は逆転する。

アンワーは小さく打ち明けていた。「悪い夢を見るんだ。」意識下に潜んでいた不穏な黒いシミは撮影が進むにつれ徐々に彼の心を蝕んでいく。カメラは彼の目線ひとつ逃がさず記録する。映画は彼を追い詰める。「共産主義者」を演じさせるのだ。彼そっくりの人形の首を切るとにせの血が溢れる。現実では仲間であるギャングに拷問され、目隠しをされ、首にワイヤーをかけられる。カットの声がかかっても彼はもう二度と以前の彼には戻れない。「こわかった。拷問された犠牲者の気持ちがわかったよ」「いいえ、その人たちはあなたよりもっともっと怯えていたはずですよ。あなたはこれがただの映画だと知っていますよね。あなたが殺した人たちは自分が殺されると知っていたんですよ」監督は彼が泣き出すのを待っているかのようだ。そして改めて彼を虐殺の現場に連れて行き、犯した罪を詳細に再現するよう求める。激しい眩暈に嗚咽し、立ち上がることもできない彼をカメラは追い続ける。なんと悪趣味なサディズムだろう!「人がなぜナチの映画を観るかわかるか?サディズムさ。ナチの映画よりサディスティックなものを作ろう、作れるさ。だってこれはフィクションじゃないんだ。俺は本当に人を殺したんだ」冒頭でこう語ったのはアンワー自身である。善悪や主従といった一見磐石に見える基準はいとも簡単に転覆するものなのだ。